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今後5年間の貴重な親子関係の中で

 昨日も10時過ぎに寝て、1時半に起きてしまいました。何となく頭が働いているので、しばらく物書きをしてからもう少し寝るようにします。

 人生、時間の経過は年とともに早く感じるようになる一方で、周囲の人との関係性では、時間の価値が貴重なものになってきます。

 当たり前のように過ごしてきた、子どもとの時間も、少なくとも上の子どもについていえば、おそらくこれまで一緒に過ごしてきた時間よりも、これからの時間の方が短くなる、可能性としては高いような気がします。

 子どもが巣立って出ていくという形で、それが終わること、これが今の僕が描く未来像で、今はその前提だけで時間軸で考えていますが、僕自身がいなくなるという可能性も、年齢とともに高くなるわけで、いずれにせよ、これからの5年は、これまでの5年に比べ、相対的に重くなることは確かのように思います。

 とはいえ、これからの5年間を、濃密に生きて思い出づくりをしようとか、そういう感じでもありません。子どもはいつまでも子どもではなく、社会での関係性を広げ、徐々に親のワールドとは離れたところに世界を持つようになります。

 親だけが残された時間に固執して子どもを縛ろうとしても、子どもは親との関係性は複数の人間関係のうちのプライムな関係の一つというぐらいで、唯一無二というわけではありません。

 親である自分もわが身を顧みると、自分の親との関係はそれなりに疎となっており、親離れ、子離れは当たり前とわかっていても、いざ、自分の子どもが生まれて、全面的に依存される関係になると、それが当たり前のようになっており、親離れはわかってはいても、心が追いついていかない面は正直あるように思います。

 僕にしてみると、ここから先の5年、子どもが多くの人と出会う中で、親を一人の人間として、相対評価にさらされたときに、なお、子どもの師範となれる存在であり続けたいですし、そうでなくても、今も処を得る旅の途中であることから、自身の成長はいよいよ加速せざるを得ない環境にあるとも考えています。

 経済的に如意にならぬことがいまだ多く、周囲の人間関係において、ネガティブ思考で負のスパイラルに落ちている人との付き合いが残っている現状は、社会に価値を十分に提供できていないことの証左でもあり、そこは反省し、相手の求める価値を提供できる自分への、変化変容を加速させていく必要があるように思います。

 勝負をかけるのは怖い面もありますが、どこかで手持ちをチップをある程度まとめて賭けて、自分で自分を本気にさせることなしに、現状のループをぶち破ることはできないので、最低限の手元流動性を確保したうえで、子どもの選択肢を増やし、自身も道は異なれど、子どもから、あらまほしき一つの生き方と思われるよう、遠慮なくいえば、うらやましがらせるような生き方を貪欲に追い求め、これからの一日一日を心を用いて生きていく、そうした決意を抱き、今日からはじまる、年度最終のヤマ場を乗りきるようにします。


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