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評価って本当に必要ですか?

40歳前後の会社員の方との飲み会に行くと、よくこんな話を耳にする

  • 上司にダメ出しされ心を無にする

  • 望まぬ異動でテンションが下がる

  • 出世争いに敗れてくすぶってる

  • 評価されずにやる気が落ちてる

  • 仕事では本音を話せない

もちろんポジティブな話もあるけれど、組織の荒波に揉まれる年代なのか、こういう話を聞く割合が高い気がする。

そのたびに、モヤモヤしてなんとも言えない気持ちになる。

評価するとかされるとか、出世するとかしないとか、で気持ちを左右されるのもうやめません?って言いたくなる。

固有の上下関係、人が人を評価すること、これ自体がもはやナンセンスなんじゃないかと思えてならない。

だって想像してみてください

自分の子どもや親、親友や愛する人が、
「上司の指示に従いなさい」「君はD評価(悪い評価のたとえ)だ」と誰かに言われていたら、ほとんどの人が悲しむはず

自分の子どもや親、親友や愛する人が、
会社や同僚から評価されずに落ち込んだり、くすぶっていたら「あなたがここにいてくれるだけで私はうれしいんだよ」と優しく声をかけたくなるはず

なのに、なんで人はそんなに評価したがるんだろう?

愛する人がされていたら嫌な行為なはずなのに、なんで他人のことを評価できるんだろう?

もちろん、誰しも得意・不得意があるので、1つの側面からみて優劣があるのは当たり前。その感覚自体を無くしたら良いとは思わない。

だけど、その優劣も、人が持つ数ある個性の凸や凹の1つ過ぎない。

人の個性なんて、100人いたら100通りあるくらい複雑なはずなのに、あなたはA評価ですとか、あなたは部長ですとか、あなたは1等級ですとか、評価を固定化することにどれだけ意味があるんだろう?

そして、何よりも、その人がただ存在しているだけで尊いという前提を忘れてはいけない

会社や人が勝手に上下関係や優劣を決めて、「下」や「劣」に当てはまっている人も、誰かの子どもであり、誰かから愛されてる人なんです。

固有の上下関係をつくったり、人が人を評価することが歪みを生じさせている気がしてならない。

人が幸せになるために事業があり、その事業を回すための組織があるという原点に立ち戻って、本当に上下関係が必要なのか?本当に評価が必要なのか?問い直しても良い時代になってきている気がする。

そうじゃないと会社や組織が回らないからねと思考停止するのではなく、人が幸せになるための仕組みや環境について今一度想いを馳せてみたい。

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