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ジャーナリングで変わったこと(母娘編)

こんにちは、SiN(シン)です。

起業準備をしてから
ジャーナリングに出会い、
今回は劇的に変わった母娘編を。


母への想いは娘として、
許せない過去がありました。

というのも、
いじめに遭った時に相談しても
「そういう人と友達になった
    あなたが悪い」と言われ、
親ならもっと優しい言葉を
かけられないの?と、
そのあたりから母への
許せない!という感情は
どこまでも何十年もつきまとっていて。

母からのLINEも「仕事が忙しい」を
言い訳にすぐに返信しなかったり、
LINEが来ても
「なんでこんなにも自分を主張してきて、
ほんとめんどくさい」とまで思ってました。

だけど、ジャーナリングで書いた母への想い。

・許せない!
・もっと優しくしてよ!
・もっと認めてよ!
・いつも自分のことばっかり!

と書いた中にも

・母の時代はネットもなく
    情報が足りない時代でもあった
・21歳と若い年齢で出産して
    友達もいない場所での育児
・義父母と生活も慣れず大変だっただろうな
・毎年誕生日プレゼントをくれるのは
    母なりの優しさ
・いつも忙しく頑張っているねと
    優しい言葉をかけてくれている

と書いている自分も。

そう、私は母を認め許していた。
それなのになぜかそれでも許せない!の
見えない言葉が頭の中を駆け巡る。

でも、昨日母から正月会いたいとの連絡が。
いつもならまた色々愚痴とか聞かされて
めんどくさいなと思うところが、
「親孝行としてたまには付き合おうかな」と
思えていたんです。

そこで日にちや待ち合わせ場所を
やり取りしていく中で、
気づいたんです。

「私、母をもうとっくに許してたんだ。
 母を許せていない自分を、
    許せてなかったんだ」と。

ジャーナリングで書いていた母への受容。
これがストンと私の心の中に落ちてきた。

だって、母とのやり取りで正月会うのが
楽しみになっていて、
どこ回ろうかな、何食べようかなって
楽しみな私がいるんです。

母は何も変わってない、
私が変われた、ジャーナリングを通して。
書いたことで母を許しているのに、
それでも許せないのはなんでかと問うと、
原因は自分の心の中にあった。
それが自分自身への許しを
受け入れきれてなかったとは。

母も会うのをとても楽しみにしてくれている。

気づけてよかった。
ずっと母を憎み許さないまま、
母との距離を置く人生を
歩まなくてすんだ。

自分の心に真っ直ぐに向き合うと
こんなにも世界は温かいんだって
幸せを感じたのでした。

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