新道竜巳自作Wikipedia

新道竜巳、コンビ馬鹿よ貴方は、の突っ込み。相方、平井”ファラオ”光

1977年4月15日産まれ。身長177.7㎝、足26.5~27.0、体重74㎏、牡羊座、O型、家に冷蔵庫、洗濯機、電子レンジはない。事故物件に住む。

女芸人研究家:THE Wは1回戦から可能な限り見にいく。THE Wの事前番組に出演。ウチのガヤで女芸人紹介。女芸人女度パーセンテージ分布図作成(FLASH2018年12月18日号)。次にブレイクする3人娘はこいつだ紹介(FLASH2017年5月9日号)。アメーバブログにて新道竜巳の女芸人研究室。

M-1グランプリマニア:出演もするが見にもいく。

お笑いライブ審査員:学生M-1グランプリ、大学芸会、社会人漫才王、オズワールドカップ2019、等々

お笑いコメント屋:プレイボーイでR-1ぐらんぷりについて、お笑いナタリーでABCお笑いグランプリ優勝予想、日本テレビでTH E Wの事前番組出演、ロフトプラスワンでM-1グランプリを語るイベント「M-1グランプリグランプリ」出演、東京スポーツで若手女芸人紹介「女芸人馬鹿売れ前夜」連載、YouTubeで新道竜巳のごみラジオ(お笑い話)、ロッキング・オン・ジャパンでネタの作り方(平成28年8月30日発行)等々

物書き:工業高校専門フリーペーパー「チョイス」馬鹿よ青春連載。Web連載TOCANA、事故物件、不思議な出来事。東京スポーツ「女芸人馬鹿売れ前夜」連載

好きな女性のタイプ:岩井由紀子

欲しい差し入れ:高級カップラーメン、カップ焼きそばのヘビーユーザー、高級石けん、高級シャンプー、保存の利く食べ物

横浜で産まれ千葉県で育つ。

千葉に引っ越してまもなく横浜に住んでいたときのマンションが火事になる。ギリギリセーフ。

幼稚園、小学校、中学校、高校と順調に進み。学校で集団無視等で虐められても気にならないという特殊能力があった為ほとんど休まずいっていた。

<日活芸術学院1996年入学>

17歳の時何もやりたいことがなく、母親に「どうするの」と煽られた時にテレビでドラマを見ていたので「役者になるよ」となんとなく言ったのが上京の始まりでした。18歳で特に信念もなくお母さんの薦めた役者の専門学校に新聞奨学生をしながら通う。調布にある日活芸術学院にカブで2年間通う。食堂に、安室奈美恵さん、館ひろしさん、山本太郎さん、岸谷五朗さん、等々そうそうな有名人が来るのをみて芸能人に近づいたんだなと期待する。特別講師には宍戸錠さんが来てくれた。その時来ていた白のTシャツが凄く凄く格好良くて、僕ものちによく着るようになった。1年間過ぎたあたりに養成所に通う緊張感もなくなり沢山寝過ぎたりサボり学校にいかなくなり除籍になる。サボった理由はその時仲良かった都築君がよく遊びに誘ってきたから彼のせいでもある。石田君という友達もいた、のちにオスカーに入って辞めた(卒業後も結構遊んだ仲)は元気かな~彼は僕が「お金がないから犯罪でもして稼ごうかな」と言ったら本気で怒って止めてくれた親友です連絡先知らないのでいつかまた会いたい。授業中私が台本をやたらと読み間違えて周りから笑われ面白いから芸人になればと弄られて、そのまま鵜呑みにして目指そうと思い始める。

<ホリプロオーディション1998年>

事務所に入らなければと思い有名な事務所ならどこでもいいやとホリプロに履歴書を送るとハガキで返信が来て、役者のオーディションのつもりが。その文面を見ると1分のネタを持ってきてください。次のつぶやきシローを探せというものだった。ピンネタなど1度も見たことがない。とりあえず1分ネタを作って参戦。目黒の会場に向かい山ほど人がおりびびりまくって、10人1ブロックでネタ見せをしていく。触れ込みが次のつぶやきシローを探せなのでピンばかりでした。審査員が10人ぐらい長机を前に横並びでおり緊張しすぎてネタを全忘れして断念。同じブロックにいた見た目当時のふかわりょうさん(長髪バンダナ)のそっくりさんみたいな人が昆虫が入っている飼育箱を持ちながらあるあるネタを全く緊張せずにやっていたのが印象に残ってます。

<太田プロダクション養成所1998年度>

卒業後太田プロダクションの養成所に入学。当時3ヶ月で12回の授業日数で学費10万円でした。(現在は1年制)ゲスト講師で、山田邦子さん、いとうせいこうさん、何故か1日だけ入り口付近に有吉弘行さん(当時全くテレビに出演してない)が野球帽を深く被ってなにもせず立ちつくしていた。芸能人を近くで見ることで今度こそ芸能界に近づいたと思ったが。何事もなく卒業。当時の同期、ナナハン、2000万パワーズ、和田君(コンビ名は忘れたが後の鬼ヶ島和田)、うっかり誰とも仲良くならずに卒業。1度事務所ライブを見学さしてもらいにいく、浜松町にあるABC会館ホール(席数500人)、超満席、インスタントジョンソンさん、ブラックパイナーSOSさん、とかネタをしていたがネタの構成が全く分からないので会場は爆笑だが何が面白いか全く分からない。ネタ見せに通うも2回目で遅刻し電話すると、もう来ないでくださいとネタ見せ参加の権利も剥奪だれる。1回目ネタ見せに来ていた芸人は、360°モンキーズさん、胡蝶蘭さん、等々、この2組は別格扱いだったような気がする。

<プロダクション人力舎スクールJCA8期生1999年入学>

当時ネット普及がないなか、PHSが最先端の電話機器。タレント名鑑からオーディションをうける事務所をさがす。何故かオアシズさんの写真が目に止まり下に書いてあるプロダクション人力舎に電話する。プロダクション人力舎?なんか聞いた事があるレベル。当時の養成所の校長前田さんからこれからこちらにこれますかという事でそんなにすぐオーディションうけれるのかと思い行くと、しばらく話した結果君は面白いといってくれ、その流れで養成所にオーディションなしで入る。実際はオーディションが終わったところで入学初日まで間近だったらしく、急いでほうりこまれた。1年間で60万円の入学金をキャッシュで払う。生徒数も60人ぐらいとまだ人数に余裕があったので入れてくれた。特別講師で来てくれた、小林賢太郎(ラーメンズ)さんとの出会いはインパクトあった。なぜなら

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