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何があっても幸せに生きる

良いこと、悪いことがあると、それらの出来事に一喜一憂してしまいます。

それが、人間というものなのですが、あまりにそれらの出来事に感情を揺さぶられてしまうと、心は疲れていってしまいます。

嬉しい、楽しい、悲しい、辛いといったものは、もちろん存在していますし、その出来事を極力回避することは出来ても、完全に消すことは出来ません。

では、私たちはどのように生きればいいのか?

その答えは、この全宇宙の法則として、ずっと存在しています。

良いこと、悪いことというのは、全て私たち人間が決めていることで、その多くの人たちの中でも、1人ひとりの中で違います。

地球上では、自然現象として、雨が降ったり、晴れたり、雷が鳴ったり、雪が降ったりします。

そこに、良いも悪いもありません。

ややこしくしているのは、いつでも私たち人間の都合で、自分の都合です。

生きている限り、ずっと何かしらの出来事は起こり続けます。

それらは全て、単なる現象にしかすぎず、何の意味も待ちません。

そこに意味付けをするのは、人間であって、その中に存在する「自分」しかいません。

かの真実に気付くことで、「だったらどうしようもないじゃないか」と嘆くことはありません。

むしろ、その真逆で、この真実に気付くことさえ出来れば、この宇宙、地球上で生きる私たちは、永久に幸せを生み出すことが可能になります。

永久に幸せを生み出せるということは、それ以降はもう、生涯幸せであることが約束されるということです。

「そんなことはない」
「確かに悪いことは存在する」
「どうにかしないと幸せにはなれない」

そう思うかもしれませんが、その選択をするのもまた自分が決めること。

真実は、そこには存在していません。

雨が降ることによって、雪が積もることによって得られる豊かさがあります。

貧困を味わうことによって、知ることの出来る喜びがあります。

全ての現象には、表裏一体で対となるものが存在し、自分がそのどちらを見ているか?ということだけなのです。

パートナーに別れを告げられて、寂しくなった、失った、と嘆くことも出来ますし。

新しい出会いの始まり、自由な1人の時間を与えられた、と感じることも出来ます。

食事をして、食べる喜び、同席する人との触れ合いや、美味しさに感動することも出来ますし。

時間とお金を無駄に払った、と悲観することも出来ます。

良いか悪いかなど、全て自分で選ぶことができ、自分で決めることが出来るのです。

これが、幸せに生きられるかどうかの、自分の在り方、生き方となるのです。

幸せに生きる人は、多くを手に入れたり、何かを成し遂げたり、人気者になっている人とは限りません。

もちろん、幸せに生きることを可能にしている人は、そういった結果が出やすいということもありますが、成功者のように見えている人たちの中でも、真実に気付くことなく、どこまでも終わりのないものを追いかけ、不幸なままの人もいます。

幸せに生きるための、たったひとつの方法は、その中にある幸せを見つけていくことだけです。

一時的に、不快なこと、不幸だと感じられることがあっても、それによって何かの幸せを生み出すことが出来たはずです。

それが起きたからこそ、見つけたもの、気付けたことが必ずあるはずなのです。

何があっても、人は幸せになれます。

幸せとは、追いかけるもの、掴むもの、勝ち取るものではなく、見付けていくものです。

それさえ出来るようになれば、何があっても幸せに生きることが出来ます。


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