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「みやぎの3.11」~2011年3月当時の宮城県の水質検査状況


 2023年4月21日、宮城県公式ウェブサイトにおいて、東日本大震災の復旧・復興事業に携わった県職員や関係者の方々へのインタビュー等をまとめた冊子「みやぎの3.11」の完成が公表された。
 


 上記リンク先によれば、宮城県では平成31年(令和元年)から令和4年までの4年をかけて、約600人の方々にインタビューを行ったとのこと。今回プレスリリースされた冊子は、「東日本大震災からの復旧・復興過程で得られた本県職員等の経験や教訓などを次代に継承するとともに、今後発生が予想される様々な災害対応等において広く活用していただくことを目的として」(カギカッコ内はプレスリリースより引用)発行されたものである。
 この冊子自体は、一般への販売や配布を目的に作成されたものではないので、残念ながら私は実物を手に取ることは出来ない。
 その代わり、宮城県では、一般向けにポータルサイト「東日本大震災 宮城の災害対応記録」を作成・公開している。
 


 上記リンクのポータルサイトからは、東日本大震災発生後の水道の状況についても確認することが出来る。
 水道を含む各種ライフラインの被災状況、そこからの復旧・復興作業についての記録はもちろん、当時の水質検査の状況についても、以下のとおり具体的に記されている。

(5) 水道・簡易水道の測定
 イ  企業局広域水道の水道水
 (2011年)3月23 日、東京都水道局は前日に金町浄水場で採取した水道水から乳児の飲用に関する暫定規制値 (100Bq/kg)を超える放射性ヨウ素が検出されたと発表した。このことから、県では水道水の安全性を確認するため、企業局広域水道の3浄水場16について、3月 25 日から週1回放射性物質濃度を測定した。検査結果は、いずれも国の飲食物摂取制限に関する基準値17を大きく下回るものであった
 放射性ヨウ素は 3月 25 日の検査において、それぞれの浄水場における最大値18が検出されたものの、4月13 日の検査で南部山浄水場の2.9Bq/kgを最後に不検出となっている。
 放射性セシウム
については、4月20日の検査において南部山浄水場で 2.1Bq/kgが検出され、その後は台風等の影響で 0.2Bq/kgから 0.4Bq/kg検出された時もあったが、以後は不検出となっている

 ロ 水道事業体の水道水
 市町村の水道事業体においても、安全性を確認するため水道水の放射性物質濃度の測定を行った。3月 24日に岩沼市が測定を開始してから、順次、他の水道事業体でも測定が開始された。その後、企業局広域水道から全量受水している水道事業体を除いた全ての水道事業体において測定が行われた。
 発災直後に一部浄水場で最大 44.1Bq/kg の放射性ヨウ素(暫定規制値 300Bq/kg)が検出され、5月以降はまれに極微量 の放射性セシウムが検出されることがあったものの、ほとんどが不検出であったことから水道水の安全性は確保されていた。平成 23 年度末までに 2,013 検体の水道水について測定が行われた。

東日本大震災-宮城県の発災後1年間の災害対応の記録とその検証- - 宮城県公式ウェブサイト (pref.miyagi.jp)


 上記は、ポータルサイト「東日本大震災の記録」の「東日本大震災-宮城県の発災後1年間の災害対応の記録とその検証-」より、「第6章 原子力発電所に関する対応」からの引用である。


 東日本大震災では、地震による揺れの被害だけでなく、宮城県を含む東北地方を中心とした太平洋側の各県において津波、火災により大きな被害がもたらされた。さらに、福島県の東京電力福島第一原子力発電所では、津波による電源喪失から原子炉の冷却が出来なくなり、3月12日から3月15日にかけて水素爆発が発生。放射能物質が大気中に放出された。

 
 未曽有の災害の中、安全確保のために水質検査を継続していた方々に、あらためて、心からの敬意と感謝を伝えたい。


 現在の水質検査の状況であれば各自治体の水道局のホームページで随時確認出来るが、過去の数値については、誰もが全てを確認することが出来るわけではない。
 今回、宮城県が、東日本大震災を記録・検証するポータルタイトにおいて、当時の水道水における放射性物質の検査数値を明らかにした上で、当時から安全が確認されていたという事実を記録・公表してくれたことには、大きな意味があると感じる。

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 過去のnoteでも書いたように、東日本大震災から12年を経過し、福島県内でも除染作業等により安全が取り戻され避難指示の解除範囲が広まっている現状にあっても、「放射能が気になるのであれば、水道水に浄水器を」と、不安を煽りながら商売する者が存在する。


 12年前、情報を得られなかった・あるいは真偽不明な情報が錯綜していたあの頃は、水道水のみならず、食品から外気まであらゆる事象に放射性物質への不安を感じていた方々は多かっただろうと思う。
 もちろん、その中には、私自身も含まれる。あの頃は、知識が無かったがゆえに、不安を感じていた。
 しかし、今なら分かる。
 基準となる数値を正しく理解した上で、正確な情報を得ることができれば、安心できる。過度の不安に惑わされること無く、心穏やかに暮らすことが出来る。
 12年前の不安な状態から知識や情報をアップデート出来ずにいる方々には、12年前も安全だったのだという事実に安心していただきたい。
 
また、今後も正確な情報をご確認・ご理解いただいた上で、安心を取り戻していただきたい。
 今回の宮城県のポータルサイトは、その一助となるように思う。


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 しかし、
 ここまで書いてきたことと矛盾してしまうが、上記にリンクを貼らせていただいたポータルサイトを、現時点で「多くの方々に見て欲しい」とは、今の私にはまだ言えない。


 被災当時の写真ではなくテキスト中心のサイトであっても、こうした検証を読むことは、当時、被災された方々にとっては過去の記憶を呼び起こすことにもつながるだろう。
 今もまだ、振り返るのが辛いという方々はいらっしゃる。12年という年月を長いと感じるか短いと感じるか。それは、人それぞれ。みんな違う。
 東日本大震災当時は県外にいて、現在は宮城県内で暮らしている自分にとっては、周囲の人達を見ていてそう感じている。
 だから、被災された方々に、あの頃の記録を見て欲しい、とは、今の私には言えない。


 けれど、
 自分自身は、この記録をしっかりと読んでゆこうと思う。


 膨大な資料のため、すべてを確認するのには長い時間がかかるだろうが、丁寧に読ませていただこうと思う。
 経験していないからこそ。
 読むのが辛い過酷な記録だからこそ。
 これから先、宮城で暮らしてゆく自分にとって、あの時の状況を知っておくのは、必要なことだと思っている。


※編集履歴
 2023.4.26 トップ画像変更

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