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鳥葬について書いたらバズった件について

 2年ほど前に一度登録したもののブログとの使い分けが分からず退会してしまったnoteを、このたび再登録することにした。

 私は会社員として働きながら、ライブハウスやライブバーで自作の歌を弾き語るという形式での音楽活動を20年程続けてきた人間である。音楽活動開始当初から、自分自身の音楽活動や自分の好きな音楽等の紹介を兼ねて、ブログを書いていた。
 だが、SNSが情報発信ならびに交流の中心となる中で、特にTwitterでは、音楽以外の話題について語ることも増えてきた。いや、今ではむしろそちらがメインになりつつあり、多くの方々から反響をいただくことも多くなっている。
 そんな中で、特に反響の大きかった事柄について、音楽メインのこれまでのブログとは別の場で、いつでも読み返せるような形式で書き残しておきたいとの思いが強くなったこと、またTwitterでは書ききれなかった思いもあることから、今回あらためてnoteを開設した次第である。
 

 まずは、特に反響の大きかった、というか、人生初の「バズる」という経験をしたツイートのスレッド(計8ツイート)を、ツイート日時とあわせて下記にそのまま引用する。

先日、人の死を貶めるための道具として鳥葬を持ち出した文化人に強い不快感を抱いた人も多かったと思うが、あの話題の時に私は大学時代の中国文学の講義の中で鳥葬の写真を見た際のことを思い出していた。 勿論、ご遺体の写真もあるのでそれらが苦手な学生は途中退席可、との説明があった上でだ(続
午後8:53 · 2022年9月29日

もう30年以上前なので現在のチベットの状況とは異なる点もあるかもしれないが、当時の講義では、チベット仏教では輪廻転生が信じられており肉体は魂の入れ物にすぎない事、それ故、魂の抜けた後の体は他の生き物の命の為に捧げるべきという考え方に基づき鳥葬が最も一般的であるとの説明があった(続
午後8:54 · 2022年9月29日

日本と同じ様な僧侶による読経の様子や供花・供物等の写真の後、魂が抜かれた(とされる儀式を終えた)ご遺体を高い丘の上の台に運び、鳥がついばみやすいように肉体を細かく裁断する様子があった。 写真を見る前の私は鳥葬という言葉に野ざらしのイメージを持っていたが、実際はそうではなかった(続
午後8:55 · 2022年9月29日

一部の学生から小さく悲鳴が上がると「だから苦手な子は退席可と言ったでしょう!」と教授は呆れた様子で窘めた後、静かな口調で「この葬儀を残酷でグロテスクと感じるのは私達の価値観だけれど、ご遺体を燃やして灰にしてお墓におさめてしまうことの方が残酷だと思う価値観もあるのですよ(続
午後8:56 · 2022年9月29日

世界中には沢山の宗教があり様々な文化がある。自分の価値観と合わないというだけで、残酷だと一概には決めつけられないのですよ」といった内容のことを話してくれた。 その講義は一年を通し西遊記をはじめ多くの中国文学が取り上げられた楽しい講義だったが、あの日のことは特に記憶に残っている(続
午後8:57 · 2022年9月29日

7月8日のあの日から、死について、葬儀について、多くの人が多くの言葉を発している。 その中で、異文化の神聖な風習である鳥葬を揶揄や中傷の道具として持ち出した人がいたことを私は残念に思った。しかも、その発言者がここ日本において文化・文学を生業としている側の人間であったことにも、だ(続
午後8:58 · 2022年9月29日

勿論、偉大な芸術家が実生活においては常識が一切通じず周囲に迷惑をもたらす奇人変人であったという例は世界中で枚挙にいとまがない。文化芸術に関わる人間に良識を求めること自体間違いなのかもしれない。 しかし ならば彼等文化人の愚かな発言をマスメディアが取り上げるのも間違いではないか (続
午後9:00 · 2022年9月29日

意見の違いは、あって当然。 そう何度となく言い続けているのは、自分自身、度を越した発言をする側の人々への怒りに我を忘れてしまわぬようにと言い聞かせる為でもある。 今、人の死を揶揄している数多の文化人達にも、今一度ご自身の言動を省みて欲しいと思う。 心から願う。 長文失礼しました。
午後9:03 · 2022年9月29日

(引用ここまで)


 このツイートは、映画評論家として多くのメディアにも登場している町山智浩氏のツイート(最後に画像掲載)への不快感から書いたものである。
 しかし、デリケートな話題故、丁寧に説明しなければと推敲に時間を重ねたこと、また、何より国葬儀について口汚い言葉を発する者達との議論に参加したくないとの思いがあったことから、町山氏のツイートの直後ではなく、国葬儀が無事開催された9月末のタイミングで投稿した。
 国葬が終われば、国葬関連での呟きで罵詈雑言を浴びせてくるアカウントも減るだろう。たとえ多少絡まれて炎上したとしても、フォロワーの方々にだけでも自分の思いが伝われば良い。
 そう思っていた。


 そんな思いからのツイートが、まさか、まとめサイトが作られるほどの反響になるとは全く予想外だった。
(余談だが、まとめサイトを作ってくださった方はフォロワーさんでは無く、勿論面識は全く無い)


 このツイートへの反響は、2023年1月時点で下図の通りとなっている。

(今回noteを書くにあたり初めてインプレッション数を見たのだが、ここまで増えると何が何だか)

 バズっていた9月の時点でのいいねの数は2万だったと記憶しているので、それから更に千件以上増えたようだ。


 勿論、賛同ばかりでないことも、確認している。
 「鳥葬は神聖なものだから、それを国葬の代わりに持ち出した発言は失礼でもなんでもない」というすり替え発言もあれば、一方的に私に右派のレッテルを貼り、読む価値無しと言い切っているツイートもあった。
 また、死体を含む画像を女子学生に見せた行動を非難するツイートもあったが、これについてはツイートにも書いたように、スライド上映前にしっかりと説明があった事を強調したい。ちなみにこの講義をしてくださった先生は女性である。
(出身大学の専任教授ではなく別の大学の教授だった方です。中国文学の研究者としても名高い方でもあり、今回noteにこの件を書くにあたって先生に了承をいただければお名前と著書も紹介したかったのですが、残念ながら退任されていて連絡を取ることが出来ませんでした。何かの繋がりで連絡が取れれば、改めて御礼申し上げたいと思います。)


 それでも、大半の方々には共感・賛同いただけたことをありがたく思う。
 人の死や葬儀に関して揶揄や軽はずみな発言をすること、しかも揶揄・中傷の道具として他国の神聖な文化を持ち出すことの非礼について、多くの人が何かしら考えるきっかけになったのだとすれば、このツイートをした甲斐があったと思う。


 このツイートから3ヶ月以上を経た今も、文化人や著名大学教授によるテロリストの擁護や思想の違う相手への侮蔑発言をいくつも目にする。
 そのため、人文系の学問そのものや文系大学への風当たりが更に強まってしまったようにも感じる。
 このことは、文系大学出身者として、非常に残念に思う。
 振り返れば、自分自身も大学時代に左派思想を学び、社会運動の真似事のようなものに参加していた人間である。(これについては後日あらためて書きたい)
 しかし、正義感の危うさを学ぶ場もまた、当時の大学にはあった。そのバランスは、今も変わらず大学という場に存在していると信じたい。
 特定の政治思想に傾倒するのではなく、様々な知識と価値観の学びの場としての大学の存在が伝われば、嬉しく思う。

 尚、私がこのツイートをするきっかけになった文化人・町山智浩氏のツイートは現在も削除されておらず確認することが出来る。
 彼が今、この時の発言をどのように思っているかは分からないが、こうした態度の人物を重用している現在のマスメディアを、私は残念に思う。


(このツイートを確認出来るという事は、私はブロックされていないようだ)



2023.3.20追記
このnoteを書いた当時はツイッターへのリンクの貼り方が分からずテキスト引用としていましたが、方法が分かりましたので修正しました。
なお、テキストもそのまま残しておきます。

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