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食に対する「幸せの生命線」はどこにあるのか

「へい、お待ちどう様!!」


カウンターしかない小さなラーメン屋で久しぶりの外食を楽しむ。蔓延防止法が発令されていることから、お昼時間に少しだけ時間をずらして入店することにしました。昨晩からどうしてもラーメンが食べたいと脳が暴れているのです。


店内は僕を含めお客は3人だけ。ラッキー、空いてるわ。
入り口に近いカウンターの角を狙っていたのですが、既にデカイ男性客が座っている。暫く思案しましたが、男性客とひと席分だけ空けて座りました。


早速、デカイ男性客に注文のラーメンが届いた。
醤油系の全部のせっぽいな。美味そう!僕も同じのにしようと速攻で決断。


すると、男性客はおもむろに胡椒を手に取りサッサッサと3振り。
ろくに味も確かめないうちから胡椒をぶっかけている。お店の方もじっとその様子を見守っている。


それとも、このデカイ男性は常連客で、既に店の味を知り尽くし自分好みに調整しているのか。それは分からない。


一般的に調理する方は幾度となく経験を積み、その先にこれが一番の味だと確信したものを店のメニューにしている筈です。だから、その味を確認する前に調味料を使って「味変」している方を目撃すると、無性に悲しく思えて仕方がない。


最近、note友達の星野うみさんの記事を見て非常に共感しました。
旦那様と一緒に訪れた飲食店。旦那様が注文した料理をほんの少しばかり口にしただけで調味料を足すことに不満を感じている様子。確かに、作り手としては最高の状態で提供しているはずである。にもかかわらず、少しばかり口の中に放り込んで味を変えてしまうとなると、もしかすると口に合わなかったのかなと思ってしまうのは至極当然です。


いつも作ってる身としては
調味料足されるのは、実はちょっとだけショック。

-星野うみ。さんの記事抜粋~


星野さん、僕もその通りだと感じます。


恐る恐る妻にも聞いてみたら案の定。自分が「よし!」と納得して出した料理の味を、早い段階から変えられてしまうと悲しいと思うらしい。はて、そこで気づきました。我が家の食卓に余計な調味料が常設されていないのは、きっと「出したものをそのまま食え!」という妻の呪いがかかっているからなのだろうか。そう考えるとゾッとする。


兎に角、作り手は一番美味しくて自信があるものを提供している。だから、味を確認する前に胡椒やら一味やらを加えてしまうのは、些か作り手に失礼な気がしていた。勿論、焼き鳥や焼き肉といったものはその限りではない。


ただ、お店の中に味わい方の手引きや手順が明記されていれば、その限りではないだろう。このタイミングでこの調味料を加えてみると、より美味しくいただけます的なものです。それはそれでありがたい。


兎に角、作り手の気持ちを考えた方が良い。


また、その逆もあります。
高級店、取り分けお寿司屋さんで経験することがあるやつです。


「このネタには、この塩を少しだけつけて」とか「あーダメダメ、醤油かけ過ぎ、分かってないねぇ」とか蘊蓄うんちくを並べられるときに感じる腹立たしさ。


「うるせー、客の勝手やろ!」と言いたくなる気分。
まぁ、こだわりの店なんでしょうが、時々お客をお客と思っていない頑固なのか勘違いしているのか分からない店主に遭遇します。


個人的にはどんなに美味しくても次はない。
少なくとも「食」には相手の立場をおもんばかるルールがあるはず。


この境界線こそ満足するための「幸せの生命線」だと確信している。



最後まで読み進めて頂きありがとうございました。🌱


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