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そろそろ「学校の勉強」の大幅アップデートをすべきではないか?

はじめに・・・本記事の内容は「極論」と言われると思いますが、私は大真面目に考えている、ということだけ伝えておきます。


「学校の勉強」で何をしているか?

いきなり極論を言いますが、学校の勉強って、けっきょくは「覚える」ことが目的になっているのが大半ですよね。

文部科学省からも現場の先生からも「違うよ!」と総反論されそうですが…
でも芸術系の教科でない限り「学校の勉強」の成果をはかる「テスト」では「理解しているか」「覚えているか」をはかって点数をつけ、それをもとに、通知表をつけていますよね?

私がここで問題提起したいのは・・・
令和の時代「覚えていること」にどれだけ意味があるの?
ということです。

覚えてなければ調べればよい、じゃだめなんですか?

たとえば「47都道府県名と県庁所在地」覚えてなくても、調べればすぐに分かりますよね。
たとえば、「92-5×7の計算結果」電卓たたけば答えでますよね。

大人は、スマホでさっとググれば何の問題もなく生活できるのに、子どもにそれを「がんばって覚えさせる」意味ってなにかあるのでしょうか

もちろん「教養として知っておくべき」「覚えていたほうが便利」などあると思いますが、それがないと生きていない、なんてことはありません。

ただし、知らないと「調べることもできない」

上の例だと「日本は都道府県という行政区の区切りがある」「それぞれの都道府県には県庁という行政の中央役場がある」ということを知らないと、「47都道府県名と県庁所在地」と言われても意味が通じません。

10進数や四則演算という概念を知らなければ、計算式を言われても意味が分かりません。

そこまで基礎レベルの話でなくても、例えば「水素の化学式はH」とか覚えていなくても「物質の構造や組成を表す化学式というものがあったなー」とぼんやり覚えていれば、あとは調べればどうにかなります。

大人の社会の一部では、覚えることも必要

例え覚えていなくても、その情報を調べたり取り出したりすることができれば、大人でも大抵のことは問題ありません。

ただし例外もあります。
「運転免許をとるときに標識や交通ルールを覚える」
これは覚える必要があります。運転中にググるわけにいかないですし、その判断ミスが命にかかわるからです。

他にも即断を求められ、即断できないことが命の危険に関わるような場合は、覚える(記憶してすぐに取り出せる)ことが必要です。

また、命の危険はなくても「この職業に就くなら、この内容は覚えていないと著しくパフォーマンスが落ちるので覚えるべき」というものは多々あると思います。

でもそれは、その職を目指すときに覚えればよいし、それをはかるための資格や検定があれ、社会としては問題ありません。

学校のテストはこうしたらよいのでは?という提案

さて、話を子供の「学校の勉強」に戻します。

あらためて「学校の勉強」=「覚える」という概念を大幅にアップデートする、というか、一度ぶち壊して再定義する、くらいのことが必要なのではないかと思っています。

こういうことを書くと「公教育否定派」のように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
しっかり読んだことがある人は少ないと思いますが・・・文部科学省の教育指導要領や行政主導の取り組み(最近だとGIGAスクール構想)などは、非常によく「今の子どもたちに必要な力」を見据えて考えられており「さすが」と感心する内容も多いです。

ただ、けっきょく学校の中の最大の評価イベントである「テスト」の評点が「覚えること」になっていると、現場の先生もその呪縛から逃れられません。

そこで私からの学校のテストに対する提案は
何を持ち込んでもその場で調べてもOKのテストを数多く実施する
という形になります。

「その場で調べてOK」であっても、時間に限りがある中で、効率よく探して正しい情報を取り出す必要がでてきます。
自分なりに調べた内容をまとめておく生徒もでてきて、きっとその子は高得点をとれます。

ただし、そのテストが、数カ月に1回、という頻度だと「自分なりに事前に情報整理するトレーニング」「正しい情報を探すトレーニング」としては弱いので、頻度を上げて実施したほうがよいと考えます。

まずは、そういう形式のテストにする、という改革を先行してしまえば、教師側も

  • 授業でどのような伝え方をするのか

  • テストでどのような問題を出題するか

といった視点がでてきて、面白いことになるはずです。

余談:大学の研究とかも「覚える」にとらわれすぎ

「子どもにスマホを持たせるか否か」「YouTubeみせるべきではない?」みたいな議論は常にあり、それを研究している論文なども多いのですが、けっきょくは、
・電子書籍より紙の書籍のほうが記憶に残る
・デジタルで調べものをするとアナログに比べて記憶の定着率が低い
みたいな結論になっています。

覚えることに重きを置いているとそういう結論になりますが、では「翌日に記憶できていなかった内容をもう一度探す」となったときに、デジタルとアナログどちらが有利ですかね?と問いたいです。

とはいってもどこで線引きするか

話がそれましたが、とはいっても、例えば
掛け算九九くらいは覚えたほうがいいよね
といった線引きはあると思っています

また、一度は「意味がわからなくても、覚えようとしてみる」という経験は必要だろうと思います。

私の感覚でいうと、以下のような段階をふむのがよいのでは?と、何の根拠もなく考えています。

  • 小学校1・2年生までは、覚えるを基本とする

  • 小学校3年生くらいから、覚えなくてもよいので調べられるを徐々に取り入れていく

  • 中学校からは、覚える必要はないを基本とする

さいごに

皆がスマホをもって、常時インターネットに接続できる時代になって、当然のごとく多くの人が、この記事のようなこと考えているのでは?と思っていたのですが、このような話題をだしても、まず「でも・・・」と否定されて、なかなか賛同されません。

自分が異端なのだと思います。自覚はあります。

でも「みんなと同じ」より「異端である」「変わりもの」くらいのほうが、人生楽しめるよね、と思ってます。これも賛同者すくないでしょうけど。

夜中のテンションで書きました。では、この辺で。

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