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子育ての呪い2「ふつう」

「子育ての呪い」シリーズ第2弾です。

子育ての呪いとは

子どもと接するなかで、子どもを無意識に「呪い」にかけていないですか?という問いかけです。残念ながらエビデンスのある話ではなく、すべて筆者の思考と経験による内容ですので、ご了承ください。

「ふつう」の呪い

これは、大人が呪いにかかっていて子供に伝播しているだけです。

「ふつうはできるよね。」
「ふつうにしていればよいから。」

あまりにも日常に「ふつう」が蔓延していて麻痺しがちですが「ふつう」の定義ってなんでしょうか?義務教育で習いましたっけ?

ハイコンテクストな「日本語」という言語あるいは、その言語の上でなりたつ日本の文化によるところかもしれませんが、「多様性の時代」とか言われても、いまだに大多数のひとが「ふつう」を良しとしてして、びっくりします。

この呪いにかかると

子どもに対して「ふつう」を連発していると、結果として「ふつう」が良いこととして認識され、子ども自身が「ふつう」を目指すようになってしまいます

親の教育方針が「ふつうであってほしい」であれば、ある意味成功しているのかもしれませんが、私は、ふつうの呪いは、結果として幸福度を下げる効果しかないと考えています。

ふつう=多数派と考えると、うまく周りに併合できる人は、居心地がよいのでしょうし、だいたいの日本人は、それが程度の差はあれ、それができてしまうのだと思います。

でも、何かのキッカケで「ふつう」から外れたとき、ふつうを良しとしていると、自己肯定感が下がり、幸福を感じなくなってしまいます。

それに対し「みんなと同じである必要はない」「むしろ違ったほうがよい」という価値観が確立していれば、どんな状況に至っても、自己肯定ができ、まわりに惑わされない行動ができるようになります。

まとめ

私自身が、完全に「ふつう」からは外れた人生を歩んでいます。
2度の中退、大学へは進学しない、タトゥーあり、2度の離婚、サラリーマンをやめて経営者・・・すべてにおいて「ふつう」から外れています。

けっして人に誇れる内容でもありませんが、かといって隠すような恥ずかしい過去でもありません。すくなくとも、いまは人生楽しいです。

わが子にも「ふつう」にとらわれず、どんな自分も肯定できるように育ってほしいものです。

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