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『ジャパン・リバイバル』米国はガレージから日本は町工場から②

「日本はイノベーション後進国」という声が聞こえるようになって久しいです。しかし、イノベーションが起きていないのは、日本社会の閉塞感を強く感じている若者たちのせいなのでしょうか。それとも、社会の構造的な問題が原因なのでしょうか。本対談では、日本のイノベーションの現状と課題を、中島高英氏と中島聡氏に議論していただきます。若者たちは日本のイノベーションの鍵を握っているのでしょうか。日本の未来を切り開くためには、何が必要なのか。必見の対談です。

『ジャパン・リバイバル』米国はガレージから日本は町工場から
1.自己紹介・・・(運命を決めたパソコンとの出会い)
2.得意なこと、好きなことを見つける
3.ChatGPTとは料理をするもの!?
4.Q&A続き・・・GPTがもたらす教育の未来!?

得意なこと、好きなことを見つける

高英:そうですね。すみません、ここでいったん僕の方に。
すごい指摘だと思うのですが、少し話しを戻すとTK-80をやられていた。私も使っていました。父親の会社に戻ったときに、CAD/CAMとNC工作機械が普及しだして、町工場にも売り付けられたので…。補助金で、みんな買わされました。

買わされているというのは、後で分かったんですよ。そうするとコンピューターの時代が来る。でも、コンピューターを分かっている人が周りにほとんどいないかったのです。勉強しようと思って雑誌を見たらTK-80があり、秋葉原に行って買いました。ネットで買えないですから、買っていじりました。それでもよく分からないので、独学は無理だと思って夜学へ。プログラマー職業訓練学校へ2年。早稲田のビジネススクールにも行ったのですけど、システム概念、システムと実装の部分を夜学へ2つ行って、やっとコンピューターができるようになり、理解ができた。

こんな時代が来ると予感はしたけど、手を動かしてみたら本当に来ると感じました。その時はまだPC-98がなくて、習ったのはCOBOLFortranだったのですけど、卒業した途端にPC-98N88-BASICになっていく。でも、コンピューターの時代が来るというのは、手を動かしてみて初めて知ったのです。

聡:僕は、CANDYというソフトを作ったんですよ。

高英:存じています。触っていました。後で知ったんですね。その頃、誰が作ったかはよく分からなくて。安いからいいかなと使っていました。

聡:あれが大学生の時でしたね。

高英:それはすごい。もっと早く知り合ったら、僕はもっと大成功していた。だって、ひどいのよ。その後のCATIAになっていくCAD/CAMの変遷なんて。いろいろありました。ずっとそこの専門にいたのだけど、全然進化しなくなっちゃったので。もっと変えていかないといけないし、まだその状態は突破できてないと思っていますけど。結構そこはかすっていて、知り合えなかったことが一番不幸かもしれない。

聡:今考えてみると、CANDYというのは結構売れたのです。アスキーというところから出たのですけど、1年間の売上が20億ぐらいあったのかな?

高英:そのうち1本は僕ですね。

昭和の価値観からの脱出

聡:僕にロイヤリティーが入っていたので結構儲かったのですけど、なんでそこで会社を作らなかったのかと、今は思いますよね。そこまでものを作る力があるのだったら、会社を起こせるわけじゃないですか。でも、さっき言ったように親から与えられた昭和の価値観に、ある意味縛られていた。本人も意識してないのですけど、あれは趣味だと。小遣い稼ぎしたのだというくらいで、自分は大学院まで行ってNTTに。すごく思い込んでいたのですよね。でも、さっき言った通りNTTに実際入ってみると、働き方が根本的に間違っている。

高英:横須賀ですか?

聡:武蔵野です。

高英:武蔵野。本当に本体ですね。

聡:それも次世代交換機を作る。

高英:すごいところです。

聡:ある意味花形のところなのですけど、ソフトウェアの作り方が根本的に間違っているのを見て、こんなソフトウェアの作り方は耐えられないと思ったのです。5~6年上の先輩は仕様書ばかり書いていて、10年上の先輩になると、今度は予算を取るための書類作りを1年中しているのです。もう悲しい。

高英:官僚的な組織体系ですかね。

聡:そうそう。これは間違ったと思ったときに、ちょうど学生時代からよく知っていたマイクロソフトが、日本法人を作ったという記事を読みました。そこで学生の時にアスキーでお世話になった古川さんが社長になったと知り、新聞記事を読んだ瞬間に、こっちが僕の人生だって気が付いたのです。すぐに古川さんに電話して、「なんで誘ってくれないの?」と言ったら、「お前はエリートコース歩いているじゃないか。こんなところに来るわけないと思った」と言ったけど、僕はある意味目が覚めました。NTTに入ってみて…。

高英:それは何年目ですか?

聡:1年目です。85年に入って86年なので。

高英:あっという間に目が覚めた。

聡:パッと目が覚めて。間違っていたと。古川さんにも「入るからよろしく」と言って、その電話を切った後に辞表を書いて上司に出したら、全然受け付けてくれないのです。こんなことはあり得ないと。

後から聞いたのですけど、辞表を出すものじゃなくて、一度学校に戻る形を取るのが礼儀だったらしいのですけど、それも知らずにいきなり辞表を出したもので、そのせいでクビになりそうになったという…。

当時のマイクロソフトは…

1ヶ月ぐらい待たされたのですけど、1ヶ月間の間、彼らは何をしていたかというと、実はマイクロソフトに圧力をかけようとしたらしいです。引き抜きみたいものがあるとNTTが圧力かけて、転職を潰そうとした。だけど、マイクロソフトはあまりにも小さくて、NTTとの直接取引がなく圧力がかけられなかった。

高英:皆さんは、たぶんマイクロソフトと言うと、GAFAMのマイクロソフトを想像するけど、あの時なんて超いい加減で分からない、メガネをかけた、ビルゲイツかなんかがほざいているだけで。

聡:大学中退の。

高英:MS-DOSとかを出してきて、CP/Mの方がいいのではないか。こんなのが使えるのかという評価でしたよね。

聡:そうです。しょうもないベンチャー企業でした。吹けば飛ぶような。

高英:そうなのです。それが信じられないほど変わって、今にいたっているのですけど。そこにエリート中のエリートですよ。電電公社ですよ。武蔵野ですよ。一応その重たさは知っているんですよ。そこを1年目で、お前ら駄目だよなんてNGを向こうに出したわけじゃない。NOを。すごいよね。すごいというか、無茶というか。

聡:いろんな人が僕を説得に来ました。教授も当然だし、隣の研究室の教授とか、NTTに入っている先輩とかもみんな説得に来て、お前は大間違いだと。ベンチャー企業なんか一見格好いいけど…。

高英:まだ「ベンチャー」なんて言葉はまだ日本で流行ってない?。

聡:流行ってないですよね。そんなところに行ったって、絶対後悔すると。NTTに入っていれば、20年経ったら年金が出るようになるし、ドクター論文も書かせてやる。末はどこかの企業に天下りできるみたいな。その時に、いろんなことに気が付いたのです。そうかと。

高英:自分の人生のすごろくが全部見えたわけね。説明されて。こんな美味しいものがあると。

聡:今でも残っていると思いますけど、さっきの話で終わらないのです。一流大学から一流企業に入って、定年まで勤めたら子会社に天下りする。その辺まで全部描かれる。後から考えてみると、日本は高度成長期に成長していたので、常に人が増えていたじゃないですか。

そうすると若い頃は割と安月給でこきつかっても、将来はちゃんと給料をもらえるようになるし、会社が大きくなっていると、子会社をどんどん作れるわけです。よく考えてみると、株主に対して背任ではないかと僕は思うのだけど、星の数のような子会社を作って、そこに天下りさせる。

本当は子会社を作るのは、会社として儲かる、利益を上げるために子会社を作るけど、そうじゃない子会社がいっぱいありますよ。僕、日本の会社と結構付き合ったけど、本当に星の数のような子会社がある会社があり、その存在目的は天下り。

高英:天下りと言ったら、もう1つ大きいのがありますよね。税金使っている組織体が。

聡:天下りと言うと役所ばかりだと思っていたのですけど、実は普通のメーカーにもいっぱいあります。

高英:そうなのですよ。それが現実ですよね。それにやっと。賢い割には23歳か、大学院まで出ながらNTTまで選んで、そこで初めて気が付く。そうじゃないように、Z世代に伝えたいのね。今、僕は。そういうことを。早く気が付いたからいい。

自分が得意なこと、自分が夢中になれることを見つけて飛び込む

聡:別に僕は先見の明があったわけではなく、純粋に僕はプログラミングするために生まれてきたのだと気が付いて、本当に損得勘定抜きにパンと飛び込んだんです。みんなに反対されて説得されたけど。結果オーライだったわけですよね。その後、マイクロソフトが今度は、世界一の株価を持つ会社になったじゃないですか。

高英:偶然ですか? いっぱいあったじゃないですか。

聡:いろいろありますよね。
①偶然だった。②僕に先見の明があった。③僕が入ったから、マイクロソフトが成功した。④運が良かった。いろいろあるのですけど、どれが本当か分からないし、だいたいこういうものは、そういうのが全部合わさって1つになっているのですけど、僕はすごくラッキーでした。あまり自分の宣伝をしてもしょうがないとは思うのだけど、こういう成功した人の話を聞くと、元気が出るのではないかと思います。

別に次にGAFAになる会社がどこかなんて、誰も分からないわけで。僕だって分かっていなかったわけだけど、純粋にこれをやるのが、自分が得意なこと、自分が夢中になれることを見つけて飛び込むことが、いかに楽しいか実感しました

結果は分からないですけど、僕はそのおかげですごく充実した人生が過ごせたので、こういう話をすることによって、昭和からつないでいる価値観に乗っ取られて、親の言う通りの人生を歩むだけが人生ではないことを、いっぱいの人に気が付いてほしいと僕は思っています。

高英:そうなのです。それはモデルとして、もっと派手に日本で活躍してほしいですよね。あの時に、なんだか分からない会社に、コンピューターは何か分からないし。世の中、親戚なんてコンピューターなんて分からないものね。

聡:そうですね。知らない。

高英:そういう時代にポンと飛び込んでいって、これだけのことになった。今は悠々自適でシアトルとハワイで生活されているんですよね。

聡:そうですね。

高英:メルマガには、時々その模様は出てくるのですけど。それをもっと若い人に伝えていただいて、ハワイでゴルフとヨットはないのですか?

聡:僕は持ってないですけど、でも、ヨットにはよく乗っています。

高英:ヨットに乗って、美女を侍らせていると。これは余計な話ですけど。そういう幸せな姿を見ると、若い人が憧れると思う。それは大事だと僕は思っております。私はそんな自慢するものが何もなくて。

聡:こんな場所もあるし。

高英:この場所を作ったのは、道楽です。

聡:でも、道楽はできるだけの余裕がある。

高英:そう。道楽はすごく大事。もう1つ、自分のミッションですよね。たぶんコードを書くことが。数学も得意で、それを書いて、今でも書き続けていらっしゃるじゃないですか。画家と一緒で絵を描いたり、小平さんだとシャッターを押し続けていますけど、ミッションを持たれた方は幸せなのです。

僕はなかったの。もう1人、落ちこぼれ側の人間として、こんな人間がいるというのは、今日一番もう1つ伝えたいことなの。

聡:でも、会社を成功させたということは、実はそこに何かあったのではないですか?

高英:それは、何か別の要素があったのでしょうね。僕はさっきの続きで、TKとコンピュータープログラマーの学校を出て、自分で作ってみて、それこそ工場の生産性を大きく変えるだけのやつを作って、今まで20分かかっていた計算の処理、1000万もする500万もする、HPで作っていたデータを10秒、20秒ぐらいで作れるように自分で作った。画期的な成功。自分の工場にとってはね。それは成功したの。モデルで作ったときはこれで飯食えるかと思ったら、私のはバグだらけで。プログラマーに向いてないと途中で思って、挫折した。

聡:でも、自分の工場には向いていたわけですね。

高英:それは耐えられたのです。売れるようなものじゃない。自分たちが身内で小さく使う分には、バグは避けて、押すなよと言っておけばいいので。僕は、プログラマーに自分が向いてない。だから、ちょっと挫折したコンプレックスがあるのです。

聡:僕だって会社経営とかあまり得意じゃないから、そこにはコンプレックスありますよ。

自分は何が好きですか?好きなものが得意になる!!

高英:それはいいですね。お互い足りないもの同士で、ああだこうだ認め合うというのは。それで気が付いたのは、聡さんみたいな方がいるわけ。プログラムが本当に好きで好きで、寝ないで書く。バグ直しも徹底的にやる人がいるわけです。また友達に賢い人がいるのです。その人をちょいちょいと。

そうだ。俺はプログラマーにはなれない。センスがないと。だったら社長になればいいのだと。僕が成功した理由の1つは、知り合いに天才的なプログラマーがいて、デザイナーを引っ張ってきた。UIがまだ重要視されてない時代だったけど、彼に聞いたら、画面に出すデザインを考えるほうが難しいのだと。

そうしたら、友達に日産の車を作るデザイナーがいたから、土日に来てデザインをさせて。俺は1個ずつ作るのはいいけど、システム全体を考えるのは苦手だと。大型システムを作れる三菱のロケットを飛ばしているやつを引っ張ってきた。今度は通信技術がいる。通信の専門家を引っ張ってきて、デザイナーを引っ張ってきたことが一番の成功。

要するにチームを作る。自分が足りないものはチームで補うしかない。そうすれば、システムとしては、自分でイメージしているものはあったので、それが実現できると。だから、会社にするしかないと、後からやむを得ず会社にした感じです。面白いでしょう?

全然違うタイプの2人がここに来て、いろんなことをこうやって語っていく。僕も聡さんもそうだけど、一方的に自分の経験談を話して、すごいですねで終わっちゃう。でも、こういうふうに比較していくと面白い道が見えてくる。きっと、そこに当てはまる人はいないんだよ。天才的なエンジニアと、僕みたいに調子良くみんなをかき集めてくればいいというセンスのある人はあまりいないのだけど、どこか自分の持ち味を。何が得意かですよね。自分は何が好きか。好きなものが得意になる。

聡:そうですね。誰よりも頑張れるじゃないですか。働くとき、僕は1日16時間ぐらい平気で働けるので。全然つらくないのですよ。新しいことを勉強するのも、楽しくてしょうがないので。勉強が苦じゃない分野で戦うと、圧倒的に有利ですよね。他の人は苦労しているわけだから。それは早めに気が付いて良かったと思います。

高英:今日、受験生は我慢して将来安定したいい会社に入って、天下りまで頑張るように育てられている人にとっては、勉強は苦かもしれない。

昭和の価値観からの脱却、日本をもう一度復活させるには何が必要なのか?!

聡:その昭和の価値観がいまだに残っているのが、見ていてすごく不安ですよね。いつまで続くのだろうと。昭和の価値観というのは、さっき言ったように、人口も増えている、会社も成長しているから、子会社を作るみたいな無駄なことをしても大丈夫という前提の下で、定年まで働くといい見返りがあったわけじゃないですか。でも、それはたぶん、これから20年後に成り立つ話ではないじゃないですか。20年後に成り立たないことに向かって働くことは、実はリスクが遥かに高いのではないかと僕は思うんです。
これからの日本が元気になるには!

高英:そうですね。ジャパン・リバイバル、日本をもう1回復活させるにはどうするの? というところだと思っていて。我々は気が付いて、見えているわけですよ。だけど、それを伝えきれない。ただ自分たちがこうしてきたから、元気出せと言うわけにもいかないので、どうしましょうと。

例えばトヨタ自動車。メルマガに書かれていたように寂しい状態に世間からはなっていますけど、トヨタはどうしていったらいいと思いますか?

聡:僕は、トヨタがどうなるかよりも、例えば自動車のことが大好きな人がどうすべきと考えた方がいいと思っています。資本力があるから、あの資本は使いたいとはいえ、本当は、僕はベンチャー企業の方がいいのではないかと。その辺のマッチングを、どうするかを考えないといけないですよね。

トヨタという大きな会社が、今から、テスラとまともに戦える会社になれるとは思えないのです。つまらないことですけど、今まで散々会社に貸しを作ってきた人たちが大量にいて、天下り用の子会社もいっぱいあるので、そんなところがテスラのようなスピードで動けるわけがないのです。

とはいえ、顧客もいるし、資金力もあるし、技術力もある。優秀な人もいるので、もったいないですよね。アメリカだとそういうケースだと、すぐに優秀な人がパンと抜けて、ベンチャーキャピタルがお金を突っ込んで、ポンと新しい会社ができるので、リバイバルが会社をまたいで起こるというサイクルが起こっている。それがシリコンバレーの成功方程式。

じゃあ、日本なりの成功方程式は何かというのは、僕はまだ掴めていないのです。シリコンバレーみたいにどんどん優秀な人がトヨタから抜けて、新しい会社を作るのがいいのか。

もしくは、トヨタみたいな会社が何らかの形で、今までのしがらみを打ち破って、新しく変わることができるのか。これが答えですと言えればいいけど、それを持ってないので、それを考えたいです。

高英:どうしたら日本がリバイバルできるか考えたいですよね。私はティア4だった。ティア1、ティア2、ティア3金型やって。リアルな世界でずっと苦労して、価格交渉、値下げ交渉。値上げ交渉ではなくて、値下げ交渉に対抗している世界をやってきたので。

僕はメルマガを拝見しながら思うのだけど、今の社会問題をすごく整理されて、鋭く切られている。トヨタの問題も書かれていたし、他の問題も書かれているのだけど、もう一歩一緒に、じゃあどうするのというのを描いてみない? どうしたら日本がもうちょっとリバイバルになるのと。

10歳違って申し訳ないけど、残せる恩送りかと。下請けだったので、売った後もいろんなことが機密保持で喋れない。でも、そこから法律的にもやっと解放されたので、僕は何でも実態を喋れるし知っています。ぜひその辺をやってみたい気もしていると同時に、プランニングをちゃんとしようと。

なぜそうしているかというと、有名なコンサル会社とか、官僚とコンサル大手の出してくるリバイバルプランがろくなものではないから。日本は自分たちの天下り先をまた作るための案しか、今出てきてないのよ。どこにも依存しないで独立している我々が、そういうプランを考えて世の中に通してみて、総選挙に出てやろうと。

出るというのは、プランとしてよ。別にタスキを掛けようと言うのではないけど、やりたいと僕は最近燃えていて。今度、新たな仲間、プログラムできる人を集めた会社と同じで、知見を持った人たちにここに集まってもらって、プランを作ってみたいと思って。それで、シン・オープン・ラボなのです。

聡:社会問題はあるにしても、会社を作るときってコアとなるビジョンみたいなものがすごく大事じゃないですか。こういう世の中にしたいみたいな。結局僕なんかは、科学者ではなくてエンジニアなので、科学者たちがいろいろ作っていた技術をネタに新しいものを作る。彼らが作ってきた生肉みたいなものを、ステーキにして売ることが僕の仕事です。

その段階で、この肉だったら、こういうステーキが作れるという、そこのプロセスの楽しさといったらないし。ただ、僕は残念なことに肉を焼くことしかできないのです。誰かそれをちゃんと宣伝して、お客さんからお金を儲けてくれるビジネス側の人と組まないと…。

僕は、前に一度今まで作ったものの総決算みたいなことをしてきたのですけど、打率は3割ぐらいなんです。僕はすごいと思って作っているのに、ビジネス側のパートナーが見つからずに売れなかったものって、結構ボツになっているものがあります。でも、イチローも3割ちょっとだったからいいかとは思うのですけど。

高英:3割はすごいと思いますし、シンラボは、特にボツになったものを集めて化学反応を起こす場所ですから。ちょうどいいですね。

聡:僕は目の前にあるものしか見えてないので。ドローンに関して言うと、あまりにもやりたいことがあったので、シアトルに会社を作って、人も雇って走り始めていますけど、まだまだちっちゃい会社なので。当然ですけど、ハードとソフトと両方の技術が必要なので、まだあまり資金もないですけど、ちゃんと資金を集めたら、当然日本にも人を雇いたいし大きくしたいので、それもビジネスとして育てたいというのもあります。それが1つ。欲張りなので、いろいろあるのですけど。

『ジャパン・リバイバル』米国はガレージから日本は町工場から③に続く
(5/28(日)に掲載予定)

『ジャパン・リバイバル』米国はガレージから日本は町工場から
1.自己紹介・・・(運命を決めたパソコンとの出会い)
2.得意なこと、好きなことを見つける
3.ChatGPTとは料理をするもの!?
4.Q&A続き・・・GPTがもたらす教育の未来!?


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