【感想記事】複雑、シンプル、誠実。『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』

 こんにちは。三楼丸です。

 三楼丸:Sinkai Clubの文章・シナリオ担当。最近は体調や精神、タイムスケジュールにやや問題があり、相方の志乃塚の方が元気に活動している。

 しばらく元気がなくてあんまり色々できてなかったのですが、久しぶりにブログを(ブログではない)更新してみることにしました。それくらいビッグなイベントがあったってことです。

 それはブシロードが大元で、舞台の上で人々が競い合って、延期されたけどみんな待っていた、そんな最高のイベント……

 そう、DOMINION in 大阪城ホールですね

DOMINION in 大阪城ホール:新日本プロレス上半期の集大成。5.4で鷹木との激闘を制すも首に怪我を負ったウィル・オスプレイがIWGP世界ヘビー級のベルトを返上し、空位になってしまった世界ヘビーの王座を埋めるため、“今の新日本でNo.2の実力”と自称する鷹木と、世界ヘビー級の次期挑戦者であったオカダでタイトルマッチが行われた。30分越えの激闘の末、鷹木が初めてIWGP世界ヘビーのベルトを巻き、団体の頂点に君臨。新日本プロレスに“激烈な龍の時代“が到来することとなった。

 すいません。やめて。座布団を投げないで。こんな光景見たことない。もちろん劇場版レヴュースタァライトの公開です。

(同じくブシロード傘下のプロレス団体であるSTARDOMではレヴュースタァライトの横断幕的なやつあるの知ってた? たまに見る気がする)

 本記事は「せっかく見てきたし解説と諸々感想とか書いておくか」くらいのテンションで書かれています。すごい書き散らし。それくらいのテンションで見てください。田舎っぺだから渋谷死ぬほど迷ってメチャメチャ疲れたゾ。

※当然なんですがここからネタバレあり〼。とりあえず劇場行って観よう。テレビ版ちゃんと観てたなら後悔しないような出来だと思います。




・解説


 レポートは結論から書けって言われて育ったので先に結論から言います。劇場版少女☆歌劇 レヴュースタァライトなのですが、「凄く難しくて、凄くシンプル」な映画でした。

 「難しい」と書いたのは当然で、これはシナリオライターがあえて「難しい風」に書いているからじゃないかなと思います。メタファーとしてのトマトが何度も現れ、突然学園からいなくなる神楽ひかり、突然再開されるレヴュー、突然牙を剥く大場なな、突然どこかに輸送されていく愛城華恋、突然メガホンで叫ぶB組の人など、突然要素が多すぎて面食らうのは当たり前です。

 ですが難しいのはここがピークで、あとはとにかくシンプルです。今回のシナリオが素晴らしいのは、前半訳のわからなかったシーンが後半の展開によって一気に“意味のあるシーン”に化けているところで、これってやっぱり素晴らしいことなんですよ。意味ありげな描写や伏線は回収しないといけない、というのは当たり前なんですが、これができていない作品は世の中にごまんとありますからね。

 特に難解だった序盤の展開について、もうちょっと具体的に内容を。新国立第一ナントカに向かう中で、急にレヴューが始まり、大場ななが6人に牙を剥きます。地下鉄はこの時点で既に「未来(新国立カントカ)へ一直線に向かう人生のレール」のメタファーになっており、少女たちはメタファーの中で戦いますが、大場ななが言っていた通り、これはオーディションではありません。

 これは蛇足なのですが、進路希望書のシーン、後の連続して行われるレヴューを踏まえると、新国立ナントカは“舞台女優としての未来”、それ以外は“未来における挫折”の暗喩のような捉えられ方をしていますよね。花柳のそれは挫折とはやや違いましたし、星見のそれは見た目こそポジティブではありましたが、かなり“諦め“に近い選択として劇中で扱われていたんじゃないかなという感じです。だってトップスタァになるんでしょう? 頂点以外ありえなくない?

 基本的に、というかTVシリーズでは殆ど例外なく、レヴューもとい戦闘シーンというのは、レヴュースタァライトという作品内で「対話」の役割を果たしています。「皆殺しのレヴュー」は対話ではなく、一方的に大場ななが捲し立てるだけでした。唯一前掛けを落とさず、会話ができているように見えた天道真矢も、実際のところ“理解“していただけで、対話はありませんでした。だから「レヴューではない」のです。

 では、このシーンにはどんな意味があったのか? これは後になってわかることですが、『舞台少女としての死』の確認です。

 少女たちは、作中の言葉を使えば「飢える」ことを忘れ、舞台少女としては死んでいた。そうです。個人的にここはイマイチしっくりきていませんでしたが、そう言うならそうなんでしょう。

 大場なながそれを認識していても、観客がそれを認識しなければ、彼女たちはメタフィクション的には“死んだ“ことになりません。観客一人一人の解釈の問題になってしますしね。全ての観客に改めて彼女たちの『舞台少女としての死』を認識させるために、改めて理解してもらうために、「皆殺す」。だから「皆殺しのレヴュー」だったんだろうなという感じです。

 なぜ大場なながその役割を担ったのか、というのは結構シンプルだと思っていて、彼女が一番みんなをよく見ていて、一番みんなのことを考えていたからだと思います。これは結果論になってしまうのですが、大場ななが(おそらくキリンと通謀して)このレヴューを行うことは、結果的に限りなく彼女たちのためになっていたので、やっぱり大場ななは99期生の友達のためにこのレヴューを行って、成功したんだと思います。感情の機敏については他の人が結構解説してる印象あるしここでわざわざ色々言わんくていいかな……(苦手分野)

 個人的な見解を述べさせて貰えば、これより後のシーンである「死体の確認」が最も重要な事項だったのではないか、と僕は考えています。今作ではこのあと、5つのレヴューが行われます。その全てにおいて、舞台少女たちは「言えなかったこと」「言いたかったこと」を全面に押し出して、歌って、踊って、競い合います。

 これまで「言えなかったこと」「言いたかったこと」「言いたかったけど、いつの間にか心の奥で“死んでしまった“こと」。これを再確認するために、彼女たちは自分たちの死体をその目で確認したんだと思います。

 そして彼女たちは言葉を、感情をぶつけ合います。最後の最後、彼女たちが自分1人の足で歩いていくために、お互いを誤解したまま歩いて行かないために、自分を知ってもらうために。

 「卒業を機に、勇気を出して、言いたかったことは言っておきました。向こうも色々言ってきて、喧嘩みたいになっちゃったけど、最後は心の底から分かり合えました。未来なんてわかんないけど、私とあなた、出会えてよかったなぁ」。これが非常にシンプルな、「サブキャラクターたちの物語」です。

出会いの全てに意味があるの


 さて、では愛城華恋は?

 愛城華恋は、大場ななが主催したであろう「皆殺しのレヴュー」には参加していません。理由としては、彼女は死んでいないからです。逆ですね。生きてないんです。愛城華恋。

 上記したサブキャラクターたちがが「生きているようで死んでいる状態」だったとしたら、彼女は「どう見ても死んでる」んです。理由としては白紙の進路希望書1枚あれば十分ではないでしょうか。どこに行けばいいのかわからない。何をしたいのかわかっていない。次の舞台がどこなのかわからない。

 「これから違う道を歩んでいくけど、その前に言いたいことあるんじゃないの」と大場なな、もとい脚本は語りかけていたわけなんですが、愛城華恋には道を歩むも何も道が見えていません。言いたいこととかそれ以前の問題です。これには大場ななも内心しおしおで、「じゃあとりあえず道を見つけなよ」と電車で砂漠に送り出しています。

 砂漠にはTV版を通して愛城華恋と神楽ひかりの関係性を象徴する建造物だった東京タワーが聳えており、ここで再び神楽ひかりと愛城華恋は相対します。東京タワーは最終的に当然折れます。折れないわけありません。2人の過去の関係性の象徴ですから、最終的に神楽ひかりと新たな関係を築き上げた愛城華恋にとっては無用の長物です。本当に長いな。何mあるんだっけか。

 そうしてなんやかんやあって、神楽ひかりにおんぶにだっこでやってきた愛城華恋は、改めて自分の内側を見つめ直して(「ひかりちゃんに負けたくない」のところ)、関係性を再構築するとともに、ちゃんと自分が歩くべき道も見つけて、彼女の思春期の物語は終わります。

 舞台少女が葛藤したりするところを観て楽しんでいた我々は、愛城華恋の中から葛藤が失われて残念。自分が舞台に立つ存在であることを自覚した愛城華恋は“キャラクターとしての魅力”が無くなってしまった寂しがりますが、神楽ひかりは「言うてもLife Goes Onやで」「これから新しいとこであんじょうやっていこうや」と愛城華恋を励ましてくれます。これで本当に書くことは無くなったので、スパッと物語は終わり。

 こうやって書いてみると結構理論立っていて美しいシナリオだと思いませんか? そう思うでしょ?



・感想エリア


 逃げなかった。そこが偉い。

 この映画、『レヴュースタァライト』から逃げてないんですよ。正直逃げようと思えばいくらでも逃げられたと思いますよ。なんか新キャラ出しちゃうとか。変なイベント発生させちゃうとか。

 ただこの映画は徹底して、「既存キャラとその関係性の更なる掘り下げ」に終始します。これは真摯にキャラクターの関係性を考えて、真摯にキャラクターの未来を考えた故のことだと思いますし、これ以上ないほど「『レヴュースタァライト』という物語」に誠実なシナリオだったと思います。

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』はトップスタァを目指す9人の少女たちの物語で、それ以上でもそれ以下でもありません。本作では9人の少女たちがもう一度描かれ、誰もがトップスタァになることを諦めませんでした。これ以上なく正しくて、これ以上なく誠実な続編として、この物語は描かれました。

全体の感想は正直これに尽きるかなという感じですね。誠実に結末を描けば人は納得するんですよ。納得は全てに優先しますからね。

 もっと細かいところを述べるなら、星見vs大場は本当に素晴らしかったですね。良いところを挙げていくとそのまま“あらすじ“になってしまうのでやめておきますが、自害(=舞台少女を辞めること)を促しておきながら星見を自分の手では介錯しようとしない大場とか、「他人の言葉は勇気をくれるが、自分の言葉でしか踏み出せない」と気づく星見とか、大場の刃(=おそらく大場の技や大場への嫉妬の暗喩)さえ自分の武器にして泥臭く戦う星見とか。

「ガオ」で気絶するかと思った。どこまで行っても「怪物と人間」の構図なんですよこの2人。

 僕は星見みたいな努力型のキャラクターが大好きなのでどうしても星見贔屓になってしまっているところはあると思いますが。天才である大場ななが惚れ込んだのは、凡才である星見の『情熱』だったという部分も2人の関係性を象徴しているようで良かった。いいとこずくめやな。

 天道vs西條……は喋んなくていっか(全部通して介錯一致すぎてあまりにも喋ることがない)。最初は上品だったのに最終的に「孤高ぶってんじゃねぇぞタココラ! いてこましたろか!」と捲し立てる(そんなことは捲し立ててない)西條クロディーヌ最高だったでしょ? 実際に実力を示して「何が神だコラ。唯一孤高の存在だコラ」と勝ち誇ってみせる西條クロディーヌも良かったな。

 自粛期間中からあまりにプロレスを観すぎて最近語彙がそっちに寄ってきた。西條クロディーヌ役の相羽あいなさんって元々女子プロレスもやってたって知ってた? 新日本プロレスのYoutubeとかにもたまに出てるよね

 愛城vs神楽戦は上でも色々言ったのですが、愛城の過去をしっかりと尺を取って描き直して、愛城というキャラクターを観客目線からしっかりと完成するようにさせたのはこれ以上ない英断だったと思います(変な日本語)。TV版の愛城華恋の描写にもより深みが出るし、どれほど愛城華恋にとって神楽ひかりが世界の中心だったのか、というのがちゃんと示されてよかった。

 あと露崎まひるだけ神楽ひかりを問いただし背中を押す側だったのとか……。愛城から逃げた神楽を叱ってあげられるのはお母さんである露崎だけだよねという。

 石動と花柳はいつもの調子でしたね。褒めてんのかそれは。キャラクターに誠実に向き合った結果があの調子なんですよね。細部を振り返っていくと限界CP厨オタクになってしまうな。やめよう。感想パート終わり。


・まとめ

 というわけで色々書き散らしましたが劇場版少女☆歌劇 レヴュースタァライト……点数としては……100点中……100点!!! それ以上でもそれ以下でもない。何度も言うようですが、最後までキャラクターに、物語に非常に誠実な映画でした。時間あったらもう一回くらい観に行っちゃいたいな。言ってるうちに配信始まりそう。

 唯一欠点を述べるとしたら死ぬほど考えながら観る映画なので死ぬほど疲れるってとこかな。映画館から出た時もうヘロヘロだったゾ。ジャスティス・リーグ ザック・スナイダーカット(上映時間4時間強)でも疲れなかったこの俺が……(こっちも名作なのでおすすめ)(ベクトルが違いすぎる)。

 観終わった直後は何が何だかだったけど、帰宅してからジワーッと「よかったな〜」と思えているので、これから一生「よかったな〜」って思い続けるんだろうな。普通にオールタイムベスト級だよなコレ。

以上!



(おまけ)
 本間朋晃選手、第一子誕生おめでとうございます。一見関係あるようで全然関係ないな。



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