見出し画像

地政学的宿命 キプロスを旅して

民族が辿り着いた土地に国が生まれた。ふとその国のあり様を見ると地政学的宿命を感じざるを得ない。

以前、キプロスを観光した。たくさんの観光名所を見て、頭の中がいっぱいになった。同時に観光地を時系列に並べて見ると、東西南北からの人の移動の歴史が浮かんできた。

アフロディーテ(ビーナス)の伝説の場所があった。アフロディーテが泡から生まれたというペトラドロミウの岩、それとアフロディーテが入浴したというアフロディーテの泉。ギリシャ神話の聖地だ。

クリオン遺跡という紀元前14世紀のアカイア人の遺跡には、魚のモザイクといったクレタ文明と同じ海洋文明の跡。

パフォス遺跡にはディオニソスの館というローマ総督の屋敷跡がある。ファラオの墓と俗に言われているエジプト・プトレマイオス朝の墳墓。布教のために訪れた聖パウロが縛られた柱跡。1世紀のカタコンベもあった。

聖ラザレ教会、これは9世紀からのビザンチン教会、カコペトリア村の農家風の聖ニコラオス教会、厳かな趣のあるランパディスティス教会、きらびやかなキッコー修道院、世界遺産になり使われなくなったパラギア・トゥ・アラカ教会など多数の教会群。

リマソール城、城が造られる前にここに教会があり、リチャード一世(獅子心王)がナバレのベレンガリア女王と結婚式を挙げた。十字軍の中継地。

レフカラ村の街角には、婦人たちが腰かけてレフカラレースを編んでいた。レオナルド・ダ・ビンチがミラノ大聖堂の祭壇のために訪れてレフカラレースを買ったという。

ラルナカ空港近くにはハラ・スルタン・テケ・モスク、靴を脱いで入る神聖なイスラム教寺院。

ピアリデス博物館には、紀元前12世紀のギリシャの赤黒絵土器が展示されていた。それ以前の先史時代、石器時代の出土品も展示されていた。古代ギリシャ人が来る前にどこからやってきたのかとガイドさんに尋ねたら、筏に乗って中東から農耕文明とともにやってきた、と言う。最初の民はアジアからやって来たのだ。

キプロス島は小アジア半島の南にあり、東地中海に浮かぶ四国の半分程の面積の島国である。同じ島国でも、大陸の端にある日本やイギリスとは歴史が違う。東西南北の海上交通の要路に当たる。海は人をつないでいる。各地からいろいろな人々が、さまざまな勢力が、やって来た。

こんな短い旅からも、キプロスの歴史を概観すると、
 黎明期に中東から移住、西からギリシャ人、東からフェニキア人、南からエジプト人(プトレマイオス朝)、西からローマ人、さらにビザンチン帝国、十字軍の遠征、北からオスマントルコ、そしてイギリスの支配、1960年に独立、1974年トルコによるキプロス北部占領・・・
このようにキプロスという四国の半分の島国が東地中海にあるという地理的状況により、周囲の情勢により動かされた歴史を垣間見ることができる。

アフロディーテが泡から生まれた
というペトラドロミウの岩
クリオン遺跡のギリシャ劇場
俗称ファラオの墳墓というプトレマイオス朝の墓
パフォス遺跡のローマ総督の館
聖パウロが縛られた柱
ビザンチン帝国下の9世紀に起源を持つ聖ラザレ教会
トロードス山脈にあるキッコー修道院
カコペトリア村の聖ニコラオス教会
レフカラレースを編む婦人
リチャード1世が結婚式を挙げた
教会跡に建つリマソール城 
ハラ・スルタン・テケ・モスク




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?