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大学の宿題 万葉百選 我が背子を大和へ遣ると

大学の夏休みの宿題に万葉集を100首選べというのがあった。4千数百首から100首を選べというのだ。それには、万葉集すべての歌を読まなくてはならない。ひと夏でやれる作業なのか、そう思った。

斎藤茂吉の万葉秀歌などから写してくればよかったのだろうが、そうしなかった。未提出のまま不可の点がついた。そのことがいつまでも心にあった。いつか百首を選ぼうと思いつつ、今となっている。

今日は、その宿題の一首である。

 大津皇子の、伊勢の神宮にしぬひ下りてのぼります時に、大伯皇女のよみませる御歌

 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて
 暁(あかとき)露に吾(あ)が立ち濡れし 
 (万105) 

何という長い時間がこの一首に込められていることだろう。大津皇子を見送った後も、夜が更けて、白々と夜が明けていくまで、大伯皇女はずっと立ち尽くしていた。気がつけば皇女の体は朝露に濡れていた。

大津皇子は、飛鳥京に帰ると謀反の罪により囚われて薨去する。屍は葛城山系の二上山に葬られた。「うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を弟世(いろせ)と吾が見む」(大伯皇女)その後は、何故か草壁皇子は皇位につかずに、うののささら皇后が治めた。俗にいう持統天皇の称制である。

【表題の写真は、明日香村の甘樫丘からの風景、畝傍山とその遠方に二上山が望まれる】

いつきのみや歴史体験館  
数年前に、この短歌を偲びたく、斎宮跡を訪れた。


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