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母の描いたモンマルトルの丘のサクレ・クール寺院

母の描いたサクレ・クール寺院を見ながら、新婚旅行で行ったモンマルトルの丘のことが思い出された。数十年も前のことなので断片的な記憶が残っているだけだが、ボソボソと話すように思い出がボソボソと蘇った。

春、肌寒いと思っていたら和らいだ日だった。セーヌ川沿いのホテルに泊まり、ツアーのフリーの日に夫婦でイエナ橋を渡りエッフェル塔へと歩いた。ふたりともスプリングコートをまとっていた。どこをどう行ったのか覚えていない。パリを地図もなく適当に歩いた。ゴチックの小さな寺院があった。薬局でビタミンCを買ったり、パリのパンを買いたいだけの気持ちでパン屋でパンを買った。人通りを歩いていたら、二人乗りのスクーターが後ろから走ってきて、私の肩に触れたら、後に座っている若者が「パルドン ムシュ」と言って走り去った。それからルーブル美術館に着いた。入館料をフランで払ったがお釣りをもらい忘れ、後ろの婦人が追っかけて来て渡してくれた。旅行に不慣れな観光客だった。モナリザは見た。絵画をゆっくり見ることなく広い館内を歩き疲れてしまった。コンコルド広場で写真を撮った。小雨が降ってすぐにやんだ。シャンゼリゼ通りを散歩した。昼にシャンゼリゼ通りのレストランに入った。何を食べたか忘れたが、近くで立っているウェイトレスにミネラルウオーターを注文したことだけ覚えている。

メトロに乗り、モンマルトルの丘に行った。白い階段の先にサクレ・クール寺院が白く大きく建っていた。モンマルトルの丘の下にある喫茶店に入った。観光地のためか、たくさんの客がいてにぎわっていた。妻の注文したものがなかなか出てこない。隣のテーブルで会話を楽しんでいる婦人が気がついたのか、係の人に話してくれる。人の気配りが気持ちよい思い出として残った。夕食は、丘から少し離れたところにあるビストル風の店で定食とワインを注文した。店内には他に客がいなかった。愛想の良いマスターらしき人がひとりでやっていた。支払い時に「サルビス・コンプリ」とよく知らないフランス語で少し足して支払うと「おお、サルビス・コンプリ」と喜んだ。

翌日は、午前はバスでベルサイユ宮殿に行き、昼食はツアー(といっても添乗員とカップル2組だけの小さなツアー)でオペラ座近くの寿司江戸に入った。寿司ネタは日本では見たことがないものだった。午後はフリーだった。プランタンとラファイエットのデパートを巡って買い物。トイレ前で家内が出てくるのを待った。自販機で飲料を買おうとしたが、コインの入れ方が分からない。細い穴がない。近くで話に花を咲かせているパリジェンヌのひとりに聞いたらコインを入れてくれた。コインの面をコインを入れる箇所につけて下に押して込み入れたようだった。なかなか家内は帰ってこない。そのうちパリジェンヌたちはいなくなった。行くときに「さよなら、ムシュー」とあいさつをしてくれた。デパートでは土産として文具を買った。夕食にオペラ座近くの「よっちゃんラーメン」という九州ラーメンの店に入った。餃子とラーメンを注文するが出汁が効いていなかった。店名は日本的だが、アジア系の店で日本人の経営ではなかった。東南アジア出身らしいスタッフに駅への道を聞いた。夕闇が迫る頃に暗闇から清掃夫たちが現れた。ホテルに帰り、夜エッフェル塔に行った。パスポートを腹巻きに入れていたらエッフェル塔の売店の婦人が日本人はみんなおなかからパスポートを出すと大笑いして喜んでいた。

喫茶店には何度か入った気もするがどこに入ったかすっかり忘れた。記憶はこれだけである。そして母の絵。このモンマルトルの風景には記憶がない。旅行作家の友人に見せるとどこの場所だか分かると言った。でも私の記憶にあるモンマルトルは、丘の下の喫茶店だけ。映像は失われ、「そこには行ったことがある」とかろうじて言える微かな記憶が残っている。

母の絵 サクレクール寺院 


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