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病室の人 ある思い出

50年も昔のことだから本名でもよいと思えるのだが、それでも近さんと呼ぶことにしよう。入院した夜、睡魔が襲ったかと思ったら、「サンソ〜、サンソ〜」という声が聞こえた。起きてみると近さんが苦しそうにしている。酸素ボンベの酸素が切れたらしい。病室の患者たちも起きていた。何人かで廊下にある酸素ボンベを運んできた。これが近さんを知った初めの出来事だった。

毎日のように夕方になると奥さんが見舞いに来ていた。近さんの具合は良くなったり悪くなったりと繰り返していた。悪いときには、「元気を出せ」という奥さんの励ましの声が聞こえた。

ある日、近さんは立派な入れ墨が彫られた背中をみせてくれた。そして、こう言った。「入れ墨なんかするもんじゃないな。若いときは良いけど、歳をとって肌がしわくちゃになったら見られたものでないよ」

「かわい先生は、すごい先生だよ。『あなたの職業を当ててみましょうか。高い所でやる仕事ですね』と言うんだ。高い所の仕事と言えば、鳶職だよね」と言った。事故で心臓喘息になったという。今では聞き慣れない病名で思い違いかもしれない。

次第に具合が悪くなっていったある日、看護師に「かわい先生を呼んでくれないかな」と訴えた。かわい先生は近さんの担当を外れていたらしい。翌日にかわい先生がやってきて、往診した。額の広い人だった。近さんは安心したと思う。それでも病気は良くなることはなかった。

亡くなる一週間前だろうか、ベッドに横になっていた近さんが急に元気になり、どこかに出かけて行った。帰って来たら、大工さんのように髪の毛をさっぱりと刈り上げられていた。床屋に行って来たらしい。体調がよかったのか、手踊りをしていた。

ある朝、看護師さんがあわててかけつけてきて、医師も来て騒々しくなったのに目を覚ました。騒がしさは、しばらく続き、やかて静かになった。近さんが亡くなったと分かった。奥さんがかけつけて来た。その後、仲の良い友だちが来た。友だちの顔を見た途端に、奥さんが「とうとう死んじゃったよ」と友だちに保たれかかるようにして泣き出した。

一日中、私たちは、静かにしていた。皆テレビをつけずに黙っていた。私は、いたたまれずに布団を被った。しばらくして、布団から出ると向こうのベッドで野崎さんがやさしい顔をして私を見つめていた。


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