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万葉集を朗詠する

万葉集は散文的に読むよりは、声に出して朗詠する方が気持ちが伝わってきて好きだ。

もともと和歌は生活の歌であって、文芸作品ではない。和歌というのだからメロディとリズムがある。どのような場所で歌われたかが重要だ。挽歌は、文字通り棺を挽くときに歌う死者を弔うための歌である。国見歌は国土の繁栄を願って小高い丘に登り歌う歌だ。「うまし国ぞ、うまし国ぞ」と国土を褒めたたえる。言霊の力を信じて神々に歌により語りかけた。

かつて万葉学者の犬養孝が朗詠する万葉集に聞きいったことがあった。
「東の野に炎の立つ見えて」を「ひんがしの~のにかぎろいの~たつみ~えて」とゆっくりと詠ずるのを聞いていると、東の空が徐々に赤く染まっていく明け方の光景が浮かんでくる。

昔は、このように和歌を詠じ、それを聴く時代があった。こんなことに思いを馳せる。歌を作る者たち、詠ずる者たち、聴く者たち、記録する者たち、彼らは、ひとりで何役をも担ったかもしれないが、こういう過程を経て和歌は今の世に残ってきた。万葉集は現代人にとっては単なる文芸なのだろうが、できるだけ万葉人の心にそって味わって読みたい。それには朗詠するのが一番いいと思う。


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