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ペルーの街角 民族衣装を着た婦人たち

ペルーのクスコの街角に、民族衣装を着飾ったインディオの婦人が静かに立っていた。母親と一緒にいる子に眼を向けると恥ずかしがって母親のスカートの後ろに隠れてしまう。かつての日本の子どももこうだったなと懐かしい気持ちになる。民族性とか国民性でひとまとめに片づけるのは良くないとは思いながらも、同じようなモンゴロイドの血が流れているからなのだろうかと思ってしまう。

婦人たちは、無言なので、立っている理由を表さない。民族衣装を着飾かざり、遺跡の側にいるということは、写真撮影をしたら対価を求めているのだろう。商売は商品と対価の交換から成り立っているが、この場合、民族衣装を着飾ることそのものが商品的価値がある。だから、この人たちは、観光客の撮影に対して対価を要求する権利があると思う。中には写真を撮ったら知らぬ顔して行ってしまう人もいる。それに対して穏やかなインディオの人たちは決して声を荒げることはなかった。

民族衣装を着たインディオの婦人たちが遺跡の側でハット(つば帽子)を売っていた。ツアーを共にした若者が、「帽子を売る婦人にディスカウントのお願いをしたら、とても悲しそうな顔をした。本当に申し訳ない気持ちになった」と話していた。多分、インディオの人たちには値切りの商慣習がなく、商売の駆け引きは得意ではないのだろうか。もの静かな人たちが世慣れた商売に長けているとは思われない。商才のない私は、そんなインディオたちに同郷の友のような共感を覚える。


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