見出し画像

薪からガスに 風呂炊きの事

「一身にして二生を経るが如し」(福沢諭吉)のように大きな変動の時代を生きてきたわけではないが、昭和の時代を生きた者としても、生活面、特にエネルギー面で大きな変化があったといえる。

子どもの頃の自宅には鉄砲風呂といわれた風呂桶が裏手につながる土間にあった。夕方になると母が竹製の火吹き棒でフーフーと風を送って火を起こして薪を燃やしていた。かっぽう着を着た母の頭には白い頭巾が置かれていたのが印象的だった。風呂炊きは毎日のことだから大変な仕事だった。土間に置かれたカマドも薪を焚べてご飯を炊いていたのだから当日の婦人たちの生活は今から比べると過重なものだった。

風呂を炊く光景は、日本人の原風景として脳裏に記憶されているようで、私も水戸黄門のドラマや『千と千尋の神隠し』に描かれた風呂炊きの場面に郷愁を感じる。

いつの頃からか、風呂炊きに石油が使われるようになった。風呂の焚き口近くにボンベと自転車の空気入れがあって、その空気入れで空気をボンベに入れると圧力がかかり、火をつけると気化した石油がボッと音がして燃えた。薪から比べるとずいぶん楽だった。ボンベに空気が入ってないと火がつかないので、毎日、空気入れを使わないといけない。これが面白いと思ったのか、子どもの頃に毎日のようにやっていた。これはとても筋力がつく作業だったようだ。

その後、ガスボンベが入り、ガスが使えるようになった。同時に小学5年のときに自宅改修が行われて、浴室ができ、ガス焚きになった。ハンドルを回すと発火するというものだった。現在の給湯器のようにボタンひとつでお湯が出るわけではなかったが、薪や石油から比べるとはるかに楽になった。

とかく人間は楽なものより、苦労が多いものに愛着を感じるようで、火吹き棒や空気入れに懐かしさを感じている。

2023.4.23

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?