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読書感想#38 【(クレルヴォーの)ベルナルドゥス】「雅歌講話」

 魂が言葉に目を向ける時、その魂は言葉によって新たなものとなり、そして言葉と一致すべきものとなります。これがいわゆる、神秘的な意味での愛といわれるものです。


 この愛の一致によって、魂と言葉には婚姻関係が結ばれます。この婚姻は、愛される如く愛するという風に、自らと相方との類似を示すものでもあります。


 魂は、経験から教えられることに満足することなく、自ら言葉の方に近づいて行きます。そして片時も言葉の側を離れることなく留まり、言葉を親愛の情を持って調べ上げ、言葉の全てのことを知ろうとするのです。


 婚姻とはまさにこのような過程を経て、抱擁において一つのものとなることに他なりません。同じものを欲し、同じものを嫌う、そして二つの霊から一つの霊が生じて来る、抱擁とはまさにこのようなものなのです。


 この婚姻による愛の結び付きは、自然によって結び付けられているものよりも遥かに強いものです。それは常に満ち足りたものであり、それ自体によって快なるものだからです。愛はそれ自体で報酬であり、利益です。愛は自ら以外に、いかなる原因も結果も求めません。愛する者は、愛することそのものの内に結果を見い出すのです。愛するのは愛しているからで、愛されるために愛するのです。


 しかし、愛と一口にいっても、そこには様々な段階があります。実際、愛以外の何ものかを得ようとして好意を向けるような愛は、上位の愛ではありません。それは疑わしい愛です。何かが得られるかも知れないという望みがなくなるや失われたり、あるいは減じてしまうような愛は、病に蝕まれた愛に他なりません。愛以外の何か他のものを望むような愛は畢竟、偽物なのです。上位の愛は、何かが得られるかも知れないという希望から力を汲み取っている訳ではありません、而して希望が失われても損なわれることはあり得ないものなのです。


 魂は言葉に比べれば、遥かにちっぽけなものです。故に魂の愛というのも非常に小さなものでありましょう。しかしそれでも魂が全存在を持って愛するならば、その愛は全体であるのですから、何も欠けてはいないのです。これが婚姻を結ぶということです。二人は完全に一致する、その際、二人は一つの肉体においてではなく、一つの霊において結び付きます。二つのものは二つのものでなく、一つののものとなるのです。

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