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読書感想#15 【ルイス・カーン】「建築論集」

 建築というのは畢竟、必要ではなく願望を実現するものでなければなりません。必要だけの建物は単なる建物であって建築ではないのです。単に必要なものを作るのではなく、願望が実現された暁にそれを必要とする人が現れます。即ち願望の実現が却って必要を満たすことになるのです。建築とは元来そういうものでなければなりません。必要だけの目先の機能はただの建物に過ぎないのです。建築は畢竟、歴史的使命を果たさなければなりません。故にただの建物では建築たり得ないのです。


 願望とは直感への最初の応答です。頭で色々考えられ、整理されたものは願望ではありません。頭のなかで無意識的に願望の抑制が行われているからです。願望はもっと私たちの感覚以前のものでなければなりません。

 私たちがものを必要とするとき、普通にはその必要は既に知られたものから生じます。ハサミを欲するのは私たちがハサミを知っているからであり、コンビニを欲するのは私たちがコンビニを知っているからです。私たちの知識がその必要を満たしているのです。しかし必要なものだけで全てが満たされるということはありません。必要もまた何らかによって作られなければならないからです。例えばベートーベンが第五シンフォニーを書き上げる前に、世界はそれを必要としたでしょうか。それは世界の要請に応じて作られたものでしょうか。否、それは必要という動機から作られたのではなく、ベートーベンがそれを望み、実現され、世界に知られるものとなったときに、それを必要とする世界が実現されたのです。即ち願望が必要を生じさせたのです。


 新しいものは願望から生成されます。必要からは始まりません。必要は過去の遺産であって、それだけでは私たちは創造的たりえないのです。願望を抑圧する毎日では、どこまでも過去に囚われ、決して未来へは向かいません。そして私たちが願望を諦め必要だけを求めるとき、私たちは実務的な人間になってしまいます。いわれたことだけを着々とこなし、自分が今どこを目指しているのかも分からず、自分のことを賢いと思いながら、なんとなく全体に属している、そのような生き方になってしまうのです。

 実務に於いては個々が秘める才能は抑圧され、新しいものが生成させる可能性は失われます。ここでは個々はチームの一員に過ぎなくなり、目先の必要だけを解決させられるのです。目先の必要を解決するときに評価基準となるのはより効率的であること、即ち必要最低限の消費で最大の成果を上げることです。このような価値観で建てられた建物が如何に建築になりえましょうか。


⬇本記事の著者ブログ

https://sinkyotogakuha.org/

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