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読書感想#43 【下村寅太郎】「近世における幾何学の生成ー空間の数学と形而上学ー(科学史の哲学)」

幾何学が主に問題とするのは、形態の大きさや角度、直角性や平行性を、いかに変換してもなお不変であるような空間的構造です。

それは即ち、 n次元の連続体として扱われる空間に他なりません。形態において捉えられるような有限的空間ではなく、それ自身は定形を持たざる、無限の空間こそが幾何学の対象なのです。


ところで、この無限というのは、存在の限界や空虚をいうのではありません。仮に無限が存在に対して空虚を意味し、存在の限界を予想するならば、それは存在の限界の彼方に空虚が考えられているが故、却って有限となるからです。

即ち、無限とは無限なる空間そのものでなければならないのです。そして、この無限なる空間を数学化して捉えるのが幾何学に他なりません。

幾何学の目標は、有限的な存在論から無限的な存在論に立つことなのです。


幾何学において無限を扱うために必要となるのは、解析です。

解析とは端的にいえば、従来の如く図形を図形として理解する方法でなくして、図形を記号的代数的に取り扱う方法のことであり、それは数を形態に還元するのでなしに、形態を記号に還元します。

これによって、有限論から無限論へと移行することが出来るようになるのです。ここでは有限量さえも、無限小の積分です。というのも、無限の要素は形態あるものではあり得ず、無限小と考える他ないからです。


この意味で、幾何学は点を扱う学問といえます。幾何学は空間や空間的形象を点の集合に分解し、そして点の関数として再形成するのです。解析幾何学というものが存在するのはこの故です。


解析幾何学はまず、座標を導入することによって無限の空間を区画します。空間の中のあらゆる点というのは、これによって捕捉されるものなのです。先に述べた、空間や形態が点の集合に分解され、点の関数として再形成されるというのはこの意味においてです。

直線y=ax+bのように、空間や形態はxやyの点となるのです。しかもこのxやyというのは変数です。即ち、空間そのものは無限としてそれ自身の形態を持たず、単に点の集合として規定され、それによって三次元の連続体とされるのです。

ここで問題は、無限小へと移ります。


無限小とは、より小さいものをいうのではありません。いかに小なるものであっても、常にそれより小なるものが可能だからです。即ち無限小はすでに分割されたものなのでなければならないのです。故にそれは空間の部分でなくして、逆に空間を表出するものといえます。空間そのものは、表出されるものとして、現象となるのです。


もはや幾何学は、空間的形態ではなく、空間そのものへ向かいます。それ自身一定の形態を持たない無限の空間、即ちn次元の連続体としての空間が本質となるのです。


最初に述べたように、形態の大きさや角度、直角性や平行性をいかに変換してもなお不変である如き空間的構造を問題とするのが幾何学です。幾何学の本質は、変換において不変なるもの、変換を通じて自己同一性を保持する体系にあるのです。それは単に自己同一的なるものではありません。変換において、あるいは変換を通じて自己同一的なるものなのです。


幾何学が、かかる変換的なものとして特色づけられる時、空間の数学から操作の数学へ、即ち運動の幾何学となります。否、幾何学というよりも代数学でありましょう。幾何学は代数的操作の理論として、精神の数学となるのです。

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