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読書感想#9 【務台理作】「場所の論理学」

 私たちの生きる現実の世界とは、一体どのような世界なのでしょうか。私たちは老若男女問わず、少なくとも一度はこの問題について考えたことがあるはずです。そしてこれまでにも様々な人によって、様々な考察がなされて来ました。例えば本書では場所という考察がなされています。


 場所の論理に於いては、現実の世界は到るところに主体的な生死の場所の中心を持つ世界であると考えられます。到るところに、というからにはもちろん世界は決して私中心ではありませんが、同じくして中心でない私というものもあり得ません。即ち私は世界の中心でありながら、ただ唯一の中心ではないのです。より専門的にいうならば、私たちは特殊でありながらしかもそれを超え、そこにあるものの個体性を傷付けずに普遍的な原理を確立するということ、これが私たちの生き方なのであり、これを可能にするのが私達の生きている現実の世界なのです。

 確かに個体が個体としての特殊性を維持しながら、しかもその普遍性を確立するというのは、理屈としては普通には考えられません。それは先ず矛盾であり、不可能であります。しかしこの矛盾した世界というのが、実は私たちの生きる現実の世界なのではないでしょうか。私たちには常日頃からそのような実感がある筈です。現実は時に不条理で、私たちは決してお互いの望み通りに理解し合えることがなく、私たちの自己は何処までも圧迫されながら生きています。私たちが生きているということが既に矛盾なのです。


 私たちは決して、私たちの望む通りに理解し合えるということはありません。私たちが一つの世界を共有することが出来るというのはただの幻想です。しかしだからといって、私たちはお互いに敵対し合わなければならない関係であるかというと、必ずしもそうであるとは限りません。むしろ私たちは現に、それぞれが独自に考えを持ちながら、それを無理に押し通すことなくお互いに妥協し合うことで、良好な関係を築くことも出来ています。これはお互いの考えを摺り合わせるというよりは、相互が独自に持つ考えを、互いに個体性を損なうことなく互いに映し入れ、相互の対応に従って同一の思想を理解し合うといった方が良いかも知れません。ここでは相互が同一の個体である必要はなく、ただ両者の対応に於いて思想が相互に移り映されればそれで十分なのです。


 しかし私たちは各々が別個の個体として存在し、両者で平行的に対応が行われていると考えてはなりません。私たちの存在は常に場所との対応が前提にあり、私とあなたとは別個でありながらも場所的に相互に対応して関係しているのです。即ち場所の論理における現実の世界とは、私たちが個性を損なわずに協働し合う世界に他なりません。おそらく私たちの生きる現実の世界というのも、およそこのようなものなのではないでしょうか。

⬇本記事の著者ブログ

https://sinkyotogakuha.org/

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