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読書感想#40 【ヤコブ・ベーメ】「真の心理学」

全ての事物は永遠性から発源し、永遠の自由に由来します。それは意志を持ち、またそれ自身が意志であるのです。


意志は何かを欲望する一つの欲動です。そしてその何かの内に、意志は自己自身を観ます。自己自身を見て、そして自らの永遠性の中を見るのです。それは丁度、鏡に映る自分を見るのに似ています。意志は永遠性の中に自らの鏡を造り、その鏡を通して自己自身をよく見るのです。こうして今や、意志は自己自身の他には何も見いだしません。而して意志は自己自身を欲望するのです。


欲望はそれ自身の他には何も持っていません。欲望は自らの内で自らの意志を牽引し、模造するのです。欲望は意志の内で自己を牽引し、意志を充満させます。その時、意志の闇が生じます。闇といっても、それは恐るべきものではありません。なぜなら、この闇がないとなればたちまち意志は無となり、本質のない永遠の静寂となるからです。意志の闇は即ち、静寂にはあり得ない動性と本質的な力を造り出す力なのです。


一切はこの力の内にあります。それは無でありながら、しかも一切です。即ちそれは力の動きなのです。根底もなく、数もなき多様化です。そのなかに永遠の無底的な多性が発生するのです。


内なるものは自己から動き出て、いろいろな形体となって自己を顕示します。そこに見いだし得るものは何もありません。意志は見出だす術を何も持ってはいないからです。それにも関わらず、欲望は永遠に起こります。それで欲望は、いわば探索する意志の一種の形体となるのです。


欲動は自らの内で原因しようとします。そのことによって、それは実在であるといえます。欲動は欲望の中でかく牽引によってその実在性を造ることが出来るのです。


実在は欲望する意志はありますが何も持ってはいません。故に永遠から永遠へと産み出されるのです。始まりと終わりがなく、それにも関わらず永遠の始まりにして終わりであり、唯一の原因。欲動こそが星々と諸要素の原因なのです。


全ての事物にそれぞれの欲動があり、外なく産出して原因となります。生命ある全ての被造物は、自らの根源に基づいているのです。

全ての存在者は終わりがなく、始まりを見出だす限り進行して行きます。そのとき始まりは終わりを呑み込みます。すると永遠者は模型のままに留まらずに、永遠であったようにあるのです。


永遠性には死ぬということは全くありません。それは永遠が別の根源、別の苦悶の泉を持つ別の世界へ入ったのです。苦悶の泉は死において中断されています。分開の目的地は死であるのです。永遠は死を通って別の世界へ発芽します。そして別の実在性を得ます。要するに永遠性にはそこで留まるような死は全くなく、別の世界へ入っていくことに他ならないのです。始まりを持たないもの、それはまた終わりも根底も持たないもの。

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