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風が吹けば桶屋が儲かる小説


 風が吹く。
 風が吹くと桶屋が儲かると思ってるんですか。あんな話、ありゃしませんからね。台風35号の近づく街の店先でインタビューに答える桶屋は、軒先に山と積まれた桶を店の中に仕舞い込む作業に追われていた。今年は台風の異常発生する年だ。7月初頭から連日来やがる暴風と豪雨で、1日と空けずにまともな商売ができた日はありませんよ。桶屋はせっせと桶を運ぶ。テレビ局の中継班は、もう少し見映えのいい商売を取材するべきだったかな、と少し残念そうな表情を浮かべる。
 風が吹く。
 あっ、いっけねぇ。
 強風に煽られて桶がひとつ、宙を舞う。テレビ局のカメラがそれを追うが、風に飛ばされた桶は空高く舞い上がり、折しも局所的に発生した竜巻に巻き込まれ空の彼方へと消えていく。

 飛ばされた桶は台風の影響で氾濫した河川へと落っこちていく。
 氾濫した茶色い河川には色々なものが流されている。
 押し流された木、上流で倒壊した家のトタン屋根、古タイヤにポリタンク、あ、なんてことだ。ポリタンクに猫ちゃんがしがみついている。助けなければ。にゃぁ。にゃぁ。猫が鳴く。避難所へ向かう人たちが橋の欄干から悲鳴をあげる。中にはロープを投げて猫を助けようとする人もいるが、間に合いそうにない。どうすれば。こんなとき、猫が入るのにちょうどいい大きさの、水に浮く木でできた容れ物なんかがあれば良いのに。
 桶が流れ着く。
 猫が桶に飛び移り、ロープで作った輪っかが投げられ桶を捉える。人々が猫を助け出す。拍手喝采が巻き起こる。この桶があったから助かったようなもんだ。人々は桶を褒め称える。素晴らしい桶だ。いったい、どこで作られた桶なんだ。銘板なんかがあれば見てみよう。そして作ったところに買いに行ってお礼を言おう。人々は桶を調べる。桶屋はニンマリと揉み手をしてその瞬間を待つ。
 風が吹く。
 桶が宙を舞う。
 桶屋がちょっと泣く。
 桶は遠くの都会へ飛んでいく。

 遠くの都会は夜だ。都会の夜はおっかない。ギャングのボスが殺し屋に追われて逃げている。組織も、部下も、俺を裏切っちまいやがった。車を乗り捨てトランクケースを片手に走って夜の街を逃げるボス。トランクに詰めた札束は逃走資金だ。もしくは殺し屋を寝返らすための奥の手だ。裸一貫でのし上がってきた俺の、唯一頼れる味方だ。でもここぞという時には役に立たないんだぜ。ビルの谷間の路地裏に追い詰められた俺が見せびらかした札束にも興味を示さない殺し屋が銃を構える。銃口が俺の左胸に照準を合わせる。ああ、糞みたいな人生だったがまだ死にたくない。こんなとき、映画や漫画みたいに胸ポケットにオイルライターや聖書でも忍ばせておくんだった。俺は覚悟を決める。走馬灯が頭をよぎる。
 桶が降ってくる。
 銃口から発射された弾丸が、桶の鋼の箍に当たって跳ね返る。
 苦悶の声が聞こえる。俺は目を開ける。
 跳ね返った銃弾が殺し屋の胸を貫いている。
 助かった。この桶が無ければ俺は死んでいた。俺は地面に転がる桶を持ち上げる。そうだ。この桶を作ってくれた奴に、このトランクの中の札束を全部やろう。そして俺は身を隠し、姿を変えてどこか遠くの街で真っ当な人生を送りなおそう。そう、俺は生まれ変わるんだ。桶屋は申し訳なさそうに、しかしどこか誇らしげに、頭をぽりぽり掻きながら家のどこかにしまった空っぽの金庫の鍵を探す。
 風が吹く。
 桶と札ビラが宙を舞う。
 桶屋は膝から崩れ落ちる。
 桶は都会のビル風に乗り、台風の目を抜けて、海の向こうへ飛んでいく。

 海の向こうのそのまた向こう、熱帯雨林の奥深く、ジャングルの沼のほとりで調査団が困り果てている。巨大製薬会社が招集した医薬品原料採取チーム、万病難病を治す薬を開発する原材料を手に入れるため、このジャングルの沼地にしかいない魚を獲ろうと原地民と協力し、魚を網にかけたは良いけれど。おほん。助手くん、魚を入れる容器は持ってきたのかね。いえ主任、てっきりあいつが持ってくるものかと思いまして、いやおれは彼女が持ってくると、いやいやそれは私の仕事じゃないでしょう。おいおいまずいぞ、生きたままのサンプルが無いと、この計画はおじゃんだ、どうすんだよ、知らないわよ、誰か魚を入れる容器持ってきた奴はいないのか、水が漏れず、ちょうどいいサイズで、化学的な変化を受けない自然素材の容器はどこかに無いのか。それを聞いて網を持ったまま呆れかえる原地民の頭に、すぽん、と落ちてきた何かが嵌まる。
 これでオーケーね?
 原地民が頭から外した桶を差し出す。
 一同は歓声を上げ、桶に沼の水とぴちぴちした魚を数匹入れる。やったぞ、これで新薬が独占できる。この魚が世界のすべての病を治療し、会社に莫大な富をもたらしてくれるぞ。ありがとうなんだかわからん容器。ありがとう木片を輪っかで束ねた容器。今度から研究でこいつを使うことにしよう。
 オッケーオッケー。桶屋はひとりスタンディングオベーションで探検団の成果を讃え、現在の円ドルのレートを確認してニヤニヤする。
 風が吹く。
 助手の手に抱えた桶が魚を入れたまま飛んでいく。
 桶屋はヤケ酒を飲んでふて寝する。
 桶は飛ばされ青い空へ高く舞い上がる。
 
 戦火で荒れ果てた国。干ばつと異常気象で痛めつけられた土地。どこか遠くのサバンナで、ふたりの兄妹が泣いている。家には熱の病気に冒されたおとうさんとおかあさんが水を待っている。水を汲みに井戸に来たは良いけれど、涸れ果てた井戸には一滴の水も無い。おまけに持ってきたプラスチックのバケツは底が抜けてしまった。他の水場は40キロも先にある。兄は泣き止むと、まだぐずる妹の手を引いて家への道を歩いていく。おとうさん、無事かなぁ。おかあさん、大丈夫かなぁ。とぼとぼ歩き始めたふたりの兄妹の後ろの井戸に、空から何かが落ちてきて硬い音をたてる。なんだろう、と駆け寄るふたりが井戸を覗き込むと、井戸の底の岩盤を破って地下水が溢れてくる。やったぞ、水だ。喜ぶ兄の手を握り、でも、バケツが、と妹は涙ぐむ。桶屋も手ぬぐいで涙を拭いて鼻をかむ。井戸が水を湛えてくる。何かに気づく兄。井戸に何が飛び込んで岩盤を割ったんだろう。よほど頑丈なものに違いない。身を乗り出して水の底を覗き込む。次第にせり上がってくる水面に浮かぶ何かを見つけて兄は歓声を上げる。おまえ、やったぞ。これで水を持って帰れるぞ。兄と妹は待ち構え、噴き出す水と一緒に飛び出してきた桶を手に取る。
 おいテレビ屋さんたち、この場所ってどこにあるんだい。軒先で雨やどりしていた中継班に桶屋が聞く。えっと、ウンチャラ共和国のナンタラ高原みたいですね。ディレクターがグーグルマップを開いて言う。よし。あんたらテレビ屋さんだろ、店は儲からねぇけどよ、外国のコネ使ってウチの桶、みんなここに送ってくれよ。出来るだろ?

 風が吹く。
 帆船に積まれた桶が送られる。
 桶屋も一緒に海を渡る。
 たくさんの桶が井戸のまわりに集まる。
 改心したギャングのボスがボランティアで駆けつける。
 製薬会社をクビになった医療調査団の連中もボランティアに参加する。
 ボランティアの桶リレーで水がたくさん運ばれる。
 ギャングのボスが連れてきた猫が井戸の中の何かを狙っている
 桶と一緒に飛ばされた魚が井戸の中で繁殖している。
 魚は調査団の手によって薬の原材料になり、おとうさんとおかあさんが元気になる。
 みんなが喜びのダンスで桶屋に感謝を捧げる。
 みんなのダンスの振動で村の広場の地面が割れる。
 割れた地面から黒い色をした液体が噴き出てくる。
 おい、なんか油くせぇな。なんだこりゃ、うわっ、石油だ! みんな、桶で掬え! 掬え!

 桶屋は油田を掘り当てる。
 桶屋が儲かる。
 
                (おしまい)
 

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