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中学年期の終わり

 中学年期の終わり  日比野心労

 四月一日。ワシントンD.C.ポトマック河畔の桜並木の側に設営された特別会場に、俺たちは集められた。この四月からハイスクール……じゃなかった「高校」に入学するアメリカ初めての学生ということで、これからここで「入学式」ってものが始まるらしい。俺たちは学校から支給された、長ったるい布だらけの制服に身を包み、一糸乱れぬ整列隊形で式の開始をじっと待っている。
「なあ、この『モンツキハカマ』って服、どうしてこう動きづらいんだろうな」
 俺は列の目の前にいる幼馴染のジョージにこっそり話しかけた。ジョージは直立不動のまま、顔も向けずにこう答える。「ニッポン人の礼服なんだよ。仕方ねぇ、理不尽な形であれ負けたのは俺たちアメリカだ。向こうさんの意向にはとりあえず従う。言うこと聞かなかったら奴ら……いや、『奴』に何されるか分からないぜ」
 それを聞いた俺の胸中に鈍い痛みが走る。二年前に終結したあの大戦、俺は親父を夏の太平洋の海で失った。ニッポンの反撃……いや、『奴』の反撃を喰らって、アメリカが、世界が、ニッポンに屈した日。
「静粛に!これから大日本帝国高等学校ワシントン校の入学式を開始するでござる!」
 ガシャガシャと音を立てて演壇に人が登る。ニッポンのサムライが着ていたという鎧兜に身を包み、その声の主は厳かに開会を宣言した。
「一同!天の上帝様へ向け、礼!」
 俺たちは、桜並木の向こう岸から感じる『奴』の視線へ向かって、深々と頭を下げた。

「……というカリキュラムを通じて、貴様等はニッポン男子、ニッポン女子の魂を受け継ぐ真の国際臣民として、上帝様が好まれるニッポンの文化を世界に広めるため、粉骨砕身の思いで勉学に励むように期待するでござる!」
 この二年で必死で覚えた日本語でも、いまいち意味の分からない単語を聞き流しながら、俺は説明されたカリキュラムをもう一度手元の書類で確認した。「高校」の三年間で、男は「サムライコース」と「ニンジャコース」のどちらかを選択して、女は「ゲイシャコース」と「クノイチコース」のどちらかを選択しなければならない。三年間の生活は寄宿舎制で行われる。部屋は全てタタミといわれる床で寝起きする。ベッドなんてものは無い。床に直にマットレスを敷く意味不明な生活だ。寄宿舎での食事は、朝はスシ、昼はテンプラ、夜はスキヤキというニッポンの定番フードらしい。生の魚なんて朝から食えるか。俺は三年間で生粋のニッポン人になることを叩き込まれる未来を想像して、少しクラクラきた。
 どこかの列で悲鳴が上がった。声のする方を見ると、ひとりの女子が貧血で倒れたらしい。無理もない。こんな晴れた日の天気の下、身動きひとつせずにこの動きづらい布の服のまま立ってたら、具合のひとつも悪くなるってもんだ。俺は「気合いが足りん!」と怒鳴る教員のサムライにガシャガシャと運ばれる女子を見てびっくりした。あれは、地元の学校で秀才と呼ばれたマリアだ。密かに心を寄せていた彼女の悲惨な姿を遠くで見つめて、俺は心を痛めた。
「もう嫌だ!俺はこんなことをやりにワシントンまで来た訳じゃない!俺は田舎へ帰る!テキサスへ帰って牧場の跡を継ぐんだ!」
 錯乱したジョージが列を飛び出して逃走しようとする。制止しようとするサムライ教員たちを振り切って河畔の並木を走り抜けようとするそいつの頭上に黒い雲が湧き立つ。一瞬の轟音……閃光が走り、雷が落ちたかと思うと、黒焦げの頭がチリチリになったジョージは口から煙をポワンと吐いてどうと倒れた。列のあちこちから悲鳴が上がる。
「静粛に。朕からは誰も逃れられぬ。朕は国家である。朕は世界である。精々、朕を喜ばせるべし」
 上空から声が響く。『奴』だ。アメリカ太平洋艦隊をその力で一瞬で壊滅させ、ニッポンを瞬く間に支配下に置き、その圧倒的な力で世界中の戦争を終わらせた『上帝』。俺は空に浮かぶ『奴』が乗っているであろう銀色に輝く巨大な円盤を憎々しげに睨みつけた。

 一学期が始まってしばらくが経った。俺と、手当を受けて回復したジョージは、サムライコースを選択し、嫌々ながらも勉学に励んだ。ニッポンの文化……ブシドーやハラキリなどの習俗、フジヤマやキョートなどの地理のほか、サムライとしてケンドーやジュードーなどの訓練をこなしていく。どうも、『奴』は極端に誇張された文化ってやつが好みらしく、俺が以前親父から教わった日本とは明らかに違うニッポンのあれこれに戸惑い、憤りながらも、俺たちはなんとか二ヶ月を過ごしていった。
「なあクリス。俺はもう限界だ。テキサスの分厚いステーキが食いたい。コカコーラをがぶ飲みしたい。故郷の馬に乗って、草原を思いっきり走りたいんだよ……」
 寄宿舎の食堂、ジョージが朝飯のスシとグリーンティーを泣き顔で胃に流し込んでいる側で、そんな泣き言を聞く。俺も、小さなライスボールの上に乗せられた生のデビルフィッシュを辟易しながら飲み込んだ。
「ねえ、あんた達。私、『上帝』にひと泡吹かせる案があるんだけど、乗らない?」
 俺たちは向かいの席にドカっと座ったマリアを、目をまん丸くして見つめた。黒く染められた長髪は頭の上で奇妙に結えられ、眉毛を剃られた顔は真っ白のパウダーで塗られ、口紅で彩られた赤い唇が怒りのために歪んでいる。ゲイシャだ。ゲイシャがいる。
「マリア……なんて姿に……」
「るっさいわね。仕方ないでしょ。これゲイシャコースの正装なのよ。このクソみたいなニッポン文化の押し付けにはもうウンザリ。そんなことより、あんた達、やるの?やらないの?どっち?」
 俺たちはマリアの企みを、額を突き合わせるようにして聞きいった。

 七月四日。上帝は意地の悪いことにこの日を狙って、ニッポンで一般的に行われている学校行事「体育祭」をスケジュールにブチ込んできやがった。炎天下のグラウンドで、男子はフンドシと呼ばれる頼りない布一丁で「組体操」という集団形態模写運動(?)を繰り広げている。なんだよ、「扇」とか「人間ピラミッド」って。なんか意味あんのかコレ。ゲイシャコースの女子達が扇子を振り回して踊る応援を背に受けて、俺とジョージは人間ピラミッドの最上段へ登ると手にした旗をふり回した。そう、コレがマリアと企んでいた計画の始まりだ。
「な、貴様ら、なんじゃその旗は!!」
 白地に赤丸の日の丸旗を掲げると思っていたサムライ教員達は、俺とジョージが掲げた旗を見て激怒し始めた。白地に赤のストライプ、左上には五十の星。コレが、俺たちのアメリカの星条旗だ。
「いまだ!マリア!」俺とジョージがピラミッドから飛び降りてマリアを呼ぶ。ヒヒヒヒィィィィン!グラウンドの入り口ゲートを蹴り破って、何頭もの暴れ馬がグラウンドに雪崩れ込んできた。俺たちは空中三回転で着地をキメると、マリアが投げてよこしたズダ袋に入った服を身に纏う。テンガロンハットに皮のベスト。丈夫なジーンズにイカしたブーツ。俺たちは駆け回る馬の背に飛び乗ると「イイイイイャッホォォォゥ!!」という声を上げてサムライ教員達を蹴散らした。
「カウボーイ!カウボーイ!」生徒達が溜まっていた鬱憤を晴らすかのように歓声を上げる。「そら、コレは俺たちからのサービスだ!」馬の背に括り付けてあった箱から、俺たちは大量のコカ・コーラの瓶をわしづかみ、生徒たちに投げてまわる。土埃の巻き上がる中、マリアに煽動されてゲイシャの服を脱ぎ捨てた女子たちは、キモノの下に着ていたチアリーディングの姿に変身し、どこから取り出したかポンポンを掲げながら「USA!USA!」と叫んで飛び跳ねる。食堂のおばちゃん達もここぞとばかりにグラウンドへ繰り出し、ハンバーガーやホットドッグを投げて配って大騒ぎだ。
「静粛に!静粛に!朕はこのような馬鹿騒ぎを好まぬ!!」
 上空に上帝の円盤が飛来した。構うものか。俺たちは自由の国の子供達だ。たとえ雷でこの身を灼かれようが、俺たちの魂まで灼かれて堪るものか。全生徒を巻き込んだ大騒ぎは益々エスカレートし、グラウンドはUSA!USA!の絶叫で埋め尽くされた。
「仕置きである、心せよ!」
 円盤から黒雲が吐き出される。止まぬ絶叫が悲鳴に変わる。もう、ダメか。観念した俺たちは手を組み合わせて神に祈った。ゴッドブレスユー。息を呑む俺たちの頭上に、しかし雷は落ちて来なかった。
「HAHAHA!グッドでぇーす!マーベラスでぇーす!楽しませてもらいマシタ!」
 固く瞑った目を開き、上空を見上げた俺たちの真上に、上帝の円盤を機械の腕で捕えるさらに巨大な円盤が浮かんでいた。
「観念するデェース!脱獄犯の同胞サン!宇宙連邦刑務所から逃げ仰るとでも思っていたんデスか?探しまシタよ、ここでジ・エンドデェーす!」
「ぐぎぎぎ!無念なりぃぃ!!」
 上帝の悔しがる声が響き、奴の円盤は更にデカい円盤に吸い込まれていった。呆気に取られる俺たち。

「ワタシ達は宇宙連邦の特使デェース。実はワタシ達、この地球と呼ばれる星のキテレツな文化が大好きなのでェ、世界のあちこちを訪問する計画を立てていマシタ。あ、ワタシはアメリカ担当の@&$👾デェス。コイツはニッポン担当の👺👹¥%なのですが、担当任務に就く前に母星で犯罪を犯してまシテね。有り体に言えば脱獄犯の犯罪者なんです。ミナサンのおかげでようやく捕捉して捕まえることができまシタ。感謝シマース」
 発せられる陽気な声に呆気にとられたまま、俺たちはポカンと巨大な円盤を眺めていた。
「お礼と言ってはナンですが、今回、特別にアナタたちを我が母星のスクールに交換留学の入学許可を与えたいと思いマース!どなたか、入学希望者はイマースかー?」
 俺とジョージ、そしてマリアは顔を見合わせて苦笑いした。まあ良いさ。俺たちアメリカ人のフロンティアスピリット、見せつけてやろうじゃないか。俺たち三人が手を挙げる。遠い宇宙の入学式に出席するために。


              THE END

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