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ハタケシゴト                             #自然農法への想い

 昨年のはじめ頃、私は将来の展望について家族や妹夫婦と真剣なディスカッションを繰り返していた。その話の派生として妹の夫君の実家所有の山の農地を借りて「畑仕事」をやってみる事になった。
 私は 今の社会情勢に大きな不安と疑念を持っていて、その想いが溢れ、「とにかく、何かやり始めなければ…」という強迫観念めいた衝動に突き動かされていた。
 「まずは家族の食料を我が手で作るのだ!」と意気込んだが、はたと現実に帰れば、私は娘時代から畑仕事はおろか、鉢植えの花でさえまともに育てられたことがなく、サボテンさえ枯らしてしまったという実績がある人間だった。急に不安になり、こんな時のいつもの習慣でまずは「本」を探した。
 「簡単で、面倒くさくなくて、素人でも分かり易い・・・」などと虫のいいことを考えていたら、天の啓示のように「わら一本の革命」‐福岡正信著‐
に出会った。
 この出会いはまさに‟衝撃”だった。そして何も知らない、何も始める前にこの本に出会えたことに心から感謝した。

 一気に本を読み終え 私は すぐにはじめたくなった。
本を片手にまずは自宅横の ‟元、畑” に飛び出して早速始めようとして、はたと困った。
 「草はとらない」とあるけれど、この ‟元、畑” は何年も放置して、ただの草藪になっている。ここから どうすればいいのか・・・

畑仕事を何も知らない私にとって、この本は 
簡単に見えて難しく、単純に見えて複雑で、手近に見えて遠い そんな内容の本だった。すごすごと家に戻りもう一度本を読みなおし、 慣行農法と、有機農法と、自然農法と、の違いについて触れている個所で、私の認識のずれを発見した。
 私の認識では慣行農法(農薬や化学肥料を使う一般的な農法)に対して自然農法があり、自然農法のサイドに有機農法がある、と思っていたけれど、福岡さんの言う自然農法はむしろ、有機農法と対峙している。もちろん慣行農法とも対峙している。
 有機農法は 慣行農法で使われる農薬や肥料を 自然由来のものに置き換えるという取り組みだが、自然農法では 薬も、肥料も、堆肥さえも、使わない。
‟何もしない農法” とはそういうことなのだ。
 なぜ肥料や薬が必要なのかというと、それは人間が「より多く」「より効率的な成長」「よりおいしいもの」を作物に求めるからで、それは人間のエゴで、人間のエゴに発する干渉がなければ、植物は自分で育ち、自分で実をつける。植物の成長が自然な成長の範囲で留まれば 土が痩せることも、力を落とすこともない、ということなのだ。
 人がすることは、種を落とすこと、植物の自然な成長を邪魔しない事、観察し必要な時に最低限の手助けをすること、だけだ。
 「だけだ」、と言ってもその「だけ」が大きいのだ。その「だけ」の中に数十年の観察と経験が凝縮されていて、作物ひとつひとつの育ち方、異変、その対処法などの情報がぎっしりなのだと思う。
 私にはそれがない。ゼロだ。ゼロからのスタートだ。
 「経験」は本を読んでも身につかない。ただ実践あるのみだ。誰だって、いつだって、そこから始めるほかないのだ。
 膨大な情報の蜃気楼に 眩暈を覚えながら、今の自分が取りかかれる端緒を探った。
 「自然農法」系の より実践的な本を2,3冊求め、今から自分が行うことを具体的にイメージ出来るまで読み込み、私はふたたび ‟ハタケ”に立った。
 
 

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