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ハタケシゴト               2022 振り返り #1

 先々の手順の心配や、起こってもいないトラブルに悩むのをやめて、目下のやるべきことのイメージだけを作って、私は ‟ハタケ” に立ってみた。

 まずは ‟畝” を作るのだ。自然農法では 畑は耕さない とのこと。
 畝の周囲に溝を掘り 掘り上げた土を畝に乗せていく。溝底からの高さが 30㎝くらいあると良い らしい。思ったより高い。
 畝の周りにしっかり溝を切ることで畝の水分率を調節するようだ。
 水はけがよく乾燥しやすい土地なら溝は浅く、水はけが悪く水分が多い土地なら溝を深くして畝の水没を防ぎ 乾燥を助ける。
 なるほど、理にかなっている。家の畑は梅雨時期には 山からの雨水で水浸しになるから、山からの水を流せる方向に畝を作ろう。高めに作った方がいいだろう。

 時は2月。夏には背丈ほどの草に覆われていたこの場所も冬枯れて一面、枯草色。立ち枯れている草を鎌ではらって、目印のロープを張って、いざ スコップを握る。
 長年放置し続けた ‟元、畑”。きっと土もカチカチになっているのだろうと予測していたが、思いのほかやわらかい。サクサクしている。
 本に、「畑を始めるなら、長年耕し肥料や薬でカチカチに締まった土地より、しばらく放置された土地の方がやりやすい。草の根が土を耕し、枯れて水や空気の通り道を作る」と書いてあったが、こういうことか と納得した。
 まあ、やわらかい といっても スコップ作業など多分人生初めてくらいの体験だから、おそろしく時間がかかった。短い畝を6本作るのに、1か月以上かかったと思う。週末は山に行って 山の畑でも同じことをやった。
 「まめができた~」「筋肉痛が~」「腰が~」と騒いでいたら、心優しい息子が見かねて手伝ってくれるようになった。
 思いっきりインドア派で、自室でゲーム三昧なのはいいが、お日様に当たらないのは気になっていたので、丁度良い機会になった。

 畝づくりをしながら 種の準備をした。
「不耕起」「無除草」「無肥料」「無農薬」の自然農には、固定種という種類の種が適している。在来種として長年、「食味改善」「多収量」のための品種改良をあまり行わず安定して作られてきた品種なのだという。
 最初は種を買うしかないが、収穫したのち、種を取る。その種を来年同じ畑に撒くと、種は親の世代のこの土地の記憶を持っているので、世代を経るごとに土地に馴染み、土地にあった変化をしていくのだという。
 素敵だ、ロマンがある。そう、私は 自然農に ロマンを感じている。

 自然農では 種は直接地に落とす。苗づくりは、まあ「自然」の営みではないから…思いっきり 人間の手による営みだ。でも、苗づくりの本を見ていると、ちょっとやってみたくなった。人間だから…。
 苗を作る利点は色々ある。温床を使って苗づくりをすれば、気温や日照などの条件が整う前に一足早く発芽、幼苗状態にしておいて、自然環境の条件が整うと同時に成長させることが出来る。日照や気温の条件が限られている土地では 有効な方法だ。家の畑は、去年の経験で秋のお彼岸以降、ほとんど畝に日が当たらない事がわかった。春のお彼岸から秋のお彼岸までの半年しか、この畑では栽培出来ないと言う事だ。だから、今年はその時間を有効に使う為にも、苗づくりをしっかりやってみようと思っている。
 ・・・でも、これは矛盾だ。「もっとたくさん」「もっと効率的に」「もっとおいしく」という人間の欲を手放して、自然に任せる というのが主旨だったはずなのに。
 欲を手放す というのは なかなか難しい・・・ 

 ホームセンターを覗くと、窒素、リン酸、カリ、〇:〇:〇と数値で書かれた肥料が売られている。化学肥料というやつだ。植物の栄養素は主にこの三つの元素に集約される。有機農業のたい肥はこの栄養素が含まれる素材を組み合わせ発酵、熟成させたものだ。とても科学的だ。
 近年では、工場で白衣を着た作業員が野菜を生産している。化学工場のようだと、以前何かの映像を見た時に思ったが、「ようだ」ではなく、農業は化学そのものなのだと知った。
 日本の国土は6割以上が山林で、昔はもっとその割合が高かった。山地で農を営むのは大変だったと思う。それでも大半の人が農に携わり生計を立てた。それを可能にしたのは、ひとえに「観察」「考察」「工夫」といった、白衣は着ていなくとも、科学的態度、気質の賜物で、近代の工業化の折にもその培われた態度、気質が大変有効に働いたのだ、と言う考察を聞いたことがある。「もっとたくさん」「もっと効率的に」という指標がなければ、生き残れなかったかもしれない。
 現在では この山林だらけの国土に一億人の人口を有し、その大半は飢えを忘れ、有り余るモノに囲まれ豊かさを享受しているように見える。
 けれど、一方では 環境が破壊され、人口は減少に転じ、疫病や戦争といった‟過去”の災厄と思っていたものの気配に怯えている。


時は一方方向にしか流れない。過去を振り返って 何が悪いとか誰が悪かった とか言っていても何も始まらない。
 私は 新しいロマン を胸に抱き 新しい時代の到来を待つことにする。
 

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