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私のお薬人生

高2
パニック障害発症
初めてパニックになったのは合唱コンクールの本番の舞台の上
マジ地獄だった

〜これが悲劇の始まり〜

なんやかんやあって大学生になった。

なんやかんやあって大学中退。

なんやかんやあってフリーターになる。

アルバイトとして働いたのはドラッグストアだった。接客苦手な自分は親の言いなりになってそこで働かざるを得なかった。

ここで薬物依存になる。
ドラッグストアのレジ業務は夕方がピークになる。
私はそのピーク時のメインレジを頼まれることが多くなった。

テキパキ動いてハキハキ喋ってニコニコ笑顔でいなきゃいけない。
(後に分かったことだが)発達持ちの自分にとっては地獄のようなマルチタスクだった。

ということで、緊張と混乱を和らげるために処方されたデパスを飲むようになった。
当時、眠剤としてマイスリーを出されていたので、それを4つに割ってひとかけらずつレジの合間に飲んだりしていた。マイラリとかいってたな。

その頃はまだ規制が緩かったので、Twitterのお薬もぐもぐタグでどこかのメンヘラさんからデパスを買ったりしていた。(今はできないよ!)
あと個人輸入もしたり。
ベンゾ規制される前は結構買ってた。
(母にバレてクッソ怒られた)

そしてベンゾが規制されるようになって、私は市販薬に手を出すようになった。

全てはネットのアングラな知識。
ドラストに勤めていたということもあり半ばドヤ顔で市販薬を買い漁った。

その頃にはフリーターを辞めていた。
通院先も変わり、入院なども数回した。
この頃はまだ実家暮らし。
母の怒号に怯える毎日。

ブロン、レタス、ウット、メチオンパール、アロパノール、コンタック、漢方、ドリエル、エスタロンモカ、ナロンエース、風邪薬、鼻炎薬、とにかくなんでもいいからこのクソみたいな現実と自己否定する自我を無くすためになんでも買い漁っていた。

そんなんだったので私はあの頃常にラリってないと気が済まなかった。そうでもしないと死にたくて死にたくてたまらなくなるから。

実家にいることがとてもストレスだったので世帯分離をしてナマポになった。(これも母の言いなり)

この頃からやっと社会と関わりを持つことができた。それまでは家の中で母一強、母こそが全てだった。
訪問看護や生活訓練、社会福祉協議会等との繋がりができた。
担当してくれたケースワーカーさんには本当に感謝している。

そんな頃、ヤツが市販化された。メジコンだ。

もともとコンタックでDXMとの相性がいいということがわかっていたのでこれは天からの恵みか!?というような気持ちでメジコンを買い漁るようになった。

最初は10錠飲んだらもうヘロヘロだった。
それがあれよあれよと増えていき、市販だけでは収まらなくなった。
個人輸入に手を出し、デクセムまみれの生活をして早4年経った。

入院は4回した。
入院で薬断ちしても結局また飲んでしまう。

そんな頃、巷ではトー横界隈のメジコンODが流行っていることを知った。
私の方が少し早かったぞとか謎のマウントを取りつつ、今でもメジコンを毎日飲んでいる。

効き方は段々変わってきた。
前はふわふわ感や痺れが強かったのに、この頃はもう耐性がついたのかなんなのか、そこまでひどくラリることはなくなった。

今はメジコンの量のコントロールができるようになってきた。
初期より飲む量は増えたが、ある程度の錠数で今は収まっている。
薬物依存の自助会にも参加したりしている。

このまま減らせていけたらいいんだけど、先は長いな。

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