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言う必要がないことを言う人

「それって言う必要あった?」ということを言う人がいる。

言われるとちょっとだけ傷つくし、イラっとすることもある。

なんでわざわざ言わなくても良いことを言うんだろう

デリカシーがないだけなのか?
それとも相手が自分の言葉で何かしらの「感情」が揺さぶられている様子を見たいのだろうか?(ドSなのか?)
それとも、何にも考えていないのだろうか?

言わなくても良いこと
①「変だね」

ある日、ぼくは髪を切ってもらった。

会社に行くと、「変だね」と言われた。

別にその人と仲がそれほど良いわけじゃなかった。
冗談っぽく言っている風でもなかった。

ぼくは不快になったものの「あははー僕もそう思います」みたいな返ししかできなかった。

ぼくは”笑って”無理やりその人の「変だね」をジョークにしたんだけど、でもこれってなんでぼくが気を遣わなければいけなかったんだろう。

髪を切ってもらって、確かにぼくもあんまり納得した出来ではなかったけれど。

「変」なのはぼくが一番分かっているし、わざわざ言わなくても良かったんじゃないか?

②「おばさんみたい」

また髪の毛の話題で申し訳ないのだが、
ある日ぼくはパーマをあてた。

おばさんみたいだね

上司がそう声を掛けてきた。

例のごとく、冗談っぽくなかった。目がマジだった。笑ってもいなかった。

パーマに関しては、ぼくは割と似合っていると思っていたので、余計にショックが大きかった。

だって「おばさんみたい」って決して褒め言葉ではないじゃないか。

別に褒めて欲しかったわけじゃない。

パーマを当てたことに関して、何か言われたかったわけでもない。

でも声を掛けるなら、「おばさんみたいだね」は違うんじゃないだろうか。

「おばさんみたいだね」というのなら、わざわざ声を掛けなくても良かったじゃないか。

「おはようございます」「おはよう。お、髪型かえた?」
という感じの、タモさんの常套句で良かったじゃないか。

「おばさんみたいだね」は普通にショックだった。言う必要、あった?

③「フォロワー整理するよ」

ここで言いたいことは、ある日のぼくのTwitterのつぶやきに集約するんだけど。

Twitterでよく見る「フォロワー整理するよ」と言う人がいる。

その後に「いいね とか リプしてくれたらフォロー解除しないよ」と続く。

いやいや、あなたは王様ですか?

(「それ王様!」というさまぁ~ずの大竹さんのツッコミが聞こえてきそうだ)

それに「いいね」や「リプライ」を返してしまう人もどうした。

ファンなのか、その方のツイートがないと生きていけないのか。
それって依存じゃないか。

...まあ、そういう話じゃないんだろう。

でも、「フォロワー整理するよ」ってわざわざ言う必要ない。誰をフォローするかしないかは、その人の勝手なんだから、勝手にやったらいいのに。

もしかしたら「いいね」や「リプライ」が欲しいだけなのかもしれない。

本気で「整理するよー」って言っているのなら、ちょっと怖い。

リアルの友人には絶対言わないであろうことを、ネット上では言ってしまうのかもしれない。それってちょっと危険じゃないか?

④「私は行けません」

またTwitterというか、SNSの話だ。

イベント系やオフ会など「集まれる人いますか?」というツイートに対して、「私は行けません」とわざわざリプライする人がいる。

これがもし、全員出欠確認取ります!とかいうリアルでの集まりに対しての返信なら分かる。

でも、SNS上での「私は行けません」は言う必要はないと思う。

他のフォロワーさんや、周りの目があるところでわざわざ言わなくていい。

SNSでは誰でも閲覧できてしまう(鍵アカウントを除く)。
なのにわざわざ「行きません」を言うことはない。

そのイベントやオフ会などのツイートを、「行こうかな?」と考えている人が見たとき、「行きません」と言っている人がいたらどうだろうか。

「集まれない人が多いのかな」とか「みんなが行かないなら、私も行かないかな」とか考えてしまう気がする。

また、第三者の人からしたら、「こいつのオフ会、行きませんっていう人で溢れているなー」という目にも晒されることになる。

だからSNS上で「行きません」ってわざわざ言う必要はない。

行かないなら別に何も返さなくていい。全員の出欠を確認したいわけじゃなく、「何人来るか」「誰が来てくれるか」を知りたいだけなんだから。

結局、何がしたいのだろう?

こんな風にわざわざ言う必要がないことを言ってしまう人って何がしたいんだろうか?

一部の人は批判をしたいのだろう。
また一方では何も考えていなんだと思う。
あとは、自分を見て欲しいという承認欲求なのかもしれない。

ぼくの髪型について「変だね」「おばさんみたいだね」といった人たちは「批判」を含めた「冗談」だったのかもしれない。冗談にしてしまえば、なんでもOKだろうという考え方は、いじめのそれと一緒だ。

「フォロワー整理するよ」という人は、承認欲求があるんだと思う。いいねをされたかったり、リプライが欲しいのだ。要は都合がいい相手を選別したいんだと思う。
でも悪気もないのだろう。
本当に整理したいとは思っていて、でも今まで関わっていた人があんまり思い出せなかったり、面倒だから「リプくれた人は残せばいい、後はどっちでもいいや」という気持ちなんだと思う。
でもやっぱり言う必要はない。

SNSの投稿に、わざわざ「行きません」という人は、たぶん何も考えていない。
それかファンや仲の良い人で、「私は返事をしました!」という自己アピールなのかもしれない。

でも考えると、人はみんな、自分のことが好きだから、仕方ないのかもしれない。

かく言うぼくも、あんなツイートをしなくても良かったじゃないかと思う。

言わなくても良いことは、気がつかないうちに使っている場合もあるだろう。だからこそ、SNSなどでは言動により注意しなければならないし、リアルの会話では君の一言が誰かを傷つけているかもしれないと常に念頭に置いて行動する必要がある。

そんなの無理だよ、と思わず、考える頭を持つようにしてほしい。ぼくもそうする。

自分のフラストレーションや自己満足の糧を、他人に預けてはいけない。人がどうにかできるのは自分の行動だけだ。

コーヒー代を投げてくれると、大変喜ぶ習性があります。