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日記帳を捨てたい

14歳からずっと日記を書き続けています。どうでもいいような事ばかり書いてる日記です。
久しぶりに読み返してみると、いつ誰に何を言われどう思ったかなども書いていて、これはどういうことだろう?と当時は受け止められなかった出来事が10年経って唐突に理解できる事があった。10年前の方が真っ当な事を言っているなと感心する事もあれば、10年前も全く同じこと言ってるな…と落ち込む事もある。でも10年前の自分はもう別人のように思えて、書かれた文章も内容も愛着が無くなっている。
みんな日記帳はどのタイミングで捨てているんだろう。

万が一にでも家族に見られたら恥ずかしいと思って、実家を出た時には日記帳は全て持っていった。でも2011年3月の時点で14歳と15歳の頃の2冊の日記帳だけ実家に置きっぱなしだった。内容も取るに足らないしょうもない事に思えてきたので、家族に見られたとしても構わないと思って置いていったんだと思う。
この日記帳、実家が津波被害にあった時に流出物センターでめちゃくちゃ探した。1冊は表紙も何もかも紙のタイプの日記帳だから水没したら読めなくなるはずだけど、もう1冊は表紙がビニール素材で四方が覆われてるタイプの日記帳だった。水没に強い。運が良ければ中を読まれてしまうと思って定期的に流出物センターなどに行って探した。まあでも実家に置いてあった私の物は何一つ出てこなかったので、良かったって言っていいか分からないけど、この件に関しては本当に良かった。

他人の目に触れない事が前提の文章が面白いと思ったのは、「ガレキの太鼓」という劇団の芝居に出演した時です。バックパッカーたちのお話だったため、作演の舘氏が自身がバックパッカーとして過ごしていた時の日記を参考に見せてくれた。作家さんだから文章が上手いというのは勿論だけど、赤裸々な内容と文章を覗き見るのはとてもドキドキした。
また、別の作家の方も日記を書いていて「絶対誰にも見せないのに、ちょっと面白く書いちゃう」と言っていた。作家の方は他人の目がというより、書く事や読む事をシンプルに楽しんでいるんだろうなと思う。
この方は同棲中の日記帳の隠し場所の話もされていたので、処分についても聞けばよかったな。

私の日記は読んだことを後悔するレベルで面白くないと思っていて、捨てる前に見せてよと人に言われた事もあったけど、つまらなすぎて私の印象が変わったら嫌だなと思ってお断りをした。私自身が内容に飽きていて人に読まれる価値もないと思うなら、もう捨ててもいいんじゃないか…まあでもせっかくだし…と、生き残ってしまっている日記帳たち。いつか捨てたい。捨てたい。今のところ人生で一番の惨事だった震災のところだけ切り抜いてみようかな、その部分は面白いとかじゃないから、記録だから。
抜粋した部分を冊子にして手元に置く、そしたら日記帳は捨ててもいいかな。そういうきっかけがないと捨てられない気がする。

そういうわけで東日本大震災で被災した実家について感じていた事を、数年書き綴った日記をまとめて冊子にするぞ。と決めて、まとめの作業をしているなか能登半島地震が発生しました。
被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
今まさにあの時と同じ状況になっている方々がいるのかと思うと、心を寄せ続けるだけでなく十分な支援が継続して届けられることを望みます。

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