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ビルマで捕虜になった日本人女性

これは、残念な外国人らによって朝鮮人従軍慰安婦として使われまくっている写真です。
写真内に妊娠中の女性が含まれ、全員が悲惨そうな顔をしており、訴求効果が高いせいか、この写真とお涙頂戴の捏造エピソードで日本人に憎悪を抱く人も多いです。

でも、アメリカの公文書管理館ではこの写真の女性は『日本人』と書かれています。

写真だけけ見ると、彼女らの女性の一人は左薬指に結婚指輪と思しき指輪をしており、少なくとも臨月近くまでは流産をせずに過ごせる環境にあったようです。

ところが、この女性らが中国軍に投降している最中の動画を見ると、臨月近いあの妊婦のお腹が凹んでいます。👀

時系列的にはこうなります。
投降中(Youtubeの動画) ➡ 4人並んで記念撮影(NARAの写真)

つまり、投降してから同じ服装で4人で記念撮影するまでのほんの僅かな時間に臨月に達すると言う恐ろしい出来事が発生したと言うことです。

まあ、『最初から全部ヤラセだった』と言うのなら合点がいきますが。🤡
そうでなければ摩訶不思議な人智の及ばない出来事が発生したということになります。

ちなみに、朴永心(パク・ヨンシム)と言う韓国人女性が、この臨月の妊婦は自分だと言っていたようですが、そもそもあの妊婦とは顔の骨格(顔の長さ)が違いますし、慰安婦になった年や月も異なります。

Aug. 1939   Pyongan Nando    ✔Pak Youg-sim    25    Pyongyang
1939年8月   平安南道   ✔パク・ヨンシム 25歳   平壌直轄市

また、同女が自ら証言する時は必ず、連行されたのは「1938年3月」だと証言しています。
下記資料の米陸軍の調査報告には「1939年8月」とあり、

やっぱり年と月が違っていますね。👀

当時は皆、日本国籍だったと言う方もおられますが、当時の公文書を読むと、米軍は 朝鮮人 Korean日本人 Japanese別のものとして認識し、記載していた文書が多かったようです。
(日本人慰安婦としてキム(Kim) と言う女性が書かれていた事例もありますが、基本的には Korean は Korean, Japanese は Japanese と書かれている印象です。👀)

また、浅野豊美氏は米兵向け英字新聞の『ROUNDUP』の記事を証拠の一部として使用しましたが、その記事の朝鮮人女性とはそもそも経路が異なります。


🔳 ROUNDUPの朝鮮人女性
1942年6月
朝鮮 ➡ シンガポール ➡ 松山の慰安所

🔳 朴永心
1939年3月
朝鮮 ➡ 南京の慰安所 ➡ 1942年夏 ➡ 上海 ➡ シンガポール ➡ ビルマ・ラシオの慰安所 ➡ 松山の慰安所


写真の女性が日本人だったのか朝鮮人だったのか、名前もわからないので正確なところは不明です。

ただ、アメリカの公文書管理館(NARA)の公文書では彼女らは『日本人』と書かれてあることは確かです。
(朝鮮人を Koreans と書いている公文書は多数あり)

また、朴永心(パク・ヨンシム)氏は証言をコロコロ変えており、いくつもの点において問題点があることから、彼女が写真の女性かどうかについては、かなり怪しいのではないかと思います。


📓 日韓併合時の捏造情報に対する反論資料集

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