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浪人の話

先月私は大学を卒業した。
昔話になりつつあるが私は1年間大学受験の浪人を経験した。
今回はその話。

逃げ場なし

2017年2月。私は鼓童の研修で生き残れなかった。
東京に帰ってとりあえず引っ越しのバイトをしていた。
将来のことなど考えられなかったし、考えたくもなかった。
なんとかなるはずもないのに、なんとかなると思い込むしかなかった。

研修所での生活に比べれば引っ越しの仕事など赤子の腕をひねるようなものだ。冷蔵庫を背負って階段を登りながら考えることを放棄した。

一ヶ月ほどして両親がいよいよ出てきた。
「就職するか、大学受験するか選べ」
それしか選択肢ないのか?
両親に言われてようやく自分でも考え始めた。
ちょっと考えればわかることだ。それ以外ない。

高校の同級生は今も華やかな大学生活を謳歌している。
自分はまだ何も準備できてない。
厳しい環境に一年いて、その仕打ちがこれか。
待ってほしい。時間がほしい。逃してほしい。

「受験しかないな。そうだな。」と父。
「うん。頑張る。」と私。

こうして私は増田塾という予備校に入ることになった。


懲役延長

増田塾は浪人専門の予備校だ。
この予備校の売りは「強制自習」
朝の9時から18時まで自習室に監禁される。
それ以降も22時まで自習室に篭ることが推奨される。
1年間、山に閉じ込められたのにまた監禁である。

私は勉強が大嫌いだった。
つまらないし、役に立たない。
高校の成績表は2ばかり。最後の方はほぼ1で、お情けで高校を卒業した。
勉強するぐらいなら本を読んで世の中のことを学びたい。
散歩に行って小さな発見をする時間がほしい。
そんな高校生だった。

入塾初日。
狭く薄暗い部屋に40人くらいが肩幅ほどの狭い机に押し込められてズラッと並んでいる。養鶏場のブロイラーの方が快適だろう。皆死んだ目。死んだ顔。

戸が開いて今度は死んだ目のおじさんが出てきた。
彼は刑務所の看守にあたる「事務員」だ。
事務員Aは気だるそうに言い放った。
「おーい。お前らみたいな自意識のカケラもない奴らは大学になんか受かんねーよ。」
無気力、無表情。研修所の先輩やガンさん(所長)の言葉は厳しかったが愛があった。だからこそ、それに応えようと頑張れた。このメガネをかけたサイボーグの言葉は私達だけでなく彼自身の人生すら、諦めたような印象を私に与えた。

2日目、密集する人間の呼吸と負のオーラに気分が悪くなる。
昼食のカップ麺を吐き戻して、机に帰って単語帳を眺める。
私も死んだ顔になった。

その夜、両親にやめさせてほしいと頼んだ。
「今日は寝ろ。そして明日塾に行け。」と父。
「いやだ。」と私。
私は寝て、起きて、電車に乗って塾に行った。

結局両親がいなければ私は何もできなかった。

諦め

ここからは一瞬だ。
カップ麺を吐いた次の日から私は塾が開く1時間前に近くのマックで勉強してから行くことにした。よくわからないけどそうすることがいい気がした。きっと私は何かを諦めた。次第に週ごとに行われる小テストで首位に名を連ねるようになった。

一ヶ月もしないうちにギュウギュウだった部屋のあちこちに空席が目立つようになった。
夏に自習室のクーラーが壊れた。5人ぐらいいなくなった。
秋には下の階の改装工事が始まって一日中ドリルの音がするようになって5人やめた。冬には10人くらいいなくなって部屋は広々するようになる。私は塾のない日曜日も図書館に行って勉強した。

黙々、黙々、黙々、黙々、黙々、黙々。

電車や家の隙間時間でも勉強するようになった。当時は計算
したことなかったが一日13時間は勉強する毎日になった。

第一志望は早稲田になっていた。大学なんてどこでもいい。
別に何かしたい訳ではない。もう逃げたいとも思わない。無。

あっと言う間に年を跨いでセンターが終わって、二月には試験を受けた。
最後の早稲田の社会学部の試験が終わったとき、私は会場で一人で泣いてしまった。

数日して早稲田は落ちて青学に決まったが特になんとも思わなかった。
嬉しいとも、悔しいとも。

それでも最後に予備校に顔を出した時、サイボーグ事務員Aが私に言った。
「試験前日に大塩の背中を見送るのが好きだった。」
なんだ、無愛想に振舞っていたのは演技だったのか。


学歴とは何か

あれから6年ほどたって就活は終わり、社会に出て働くようになった。色々な大人と出会うと「東大卒!」「早慶卒!」みたいな話になることもある。
しかし、不思議に学歴と人間性は比例しない。素晴らしい大学を出た人でもアンポンタンはいるし、バカ田大卒でも到底真似できない魅力を持った人も多い。

古今「学歴」に関しては色々言われる。
反対派には
「結局は社会に出てからが勝負だ」
「個性・意志・人間性の方が重要だ」
肯定派には
「なんだかんだ学歴フィルターはある」
「学生時代に良い友人に出会うのは大切だ」
などなど。

今の時代を考えると学歴の重要性は落ちてきているように思える。
若者達が社会的成功≠幸せという価値観に生き始めているからだ。
私もその一人だと思うし、そうありたいと思う。
そう考えれば学歴は人生の些細な一要素に過ぎないかもしれない。

しかし、浪人の一年間を振り返ると「学歴は一要素だ」などと私はとても言えない。

あなたは早慶の法学部の過去問を見たことがあるだろうか。
あれはすごい。MARCHの過去問とは訳が違う。
コロコロコミックとコーランぐらい違う。
当時私は本気で勉強していたが手も足も出なかった。
そんな試験に受かった彼らの学歴を私は「一要素に過ぎない」などと堂々とは主張できない。

同様にMARCHと日東駒専でも大きな違いがある。
夏、秋、冬と諦めて塾に来なくなった彼らと私が全く同じ扱いを受けるのだとしたら、納得できないのは当たり前だ。

私は学歴はとても力の強い御守りのようなものだと思っている。
これから先、逃げ場のない状況にさらされた時、私はこの最悪の一年間を思い出すと思う。

自分はどこまでなら頑張れるのか。
どうしたらやりたくないことにも熱中できるのか。
結果が出た時どう感じるのか、出なかった時どう感じるのか。

日本史の年号は忘れたが、当時の感覚は一向に忘れる気配がない。

普段は確かに人生の一要素に過ぎないが、勝負どころで私を助けてくれる。
学歴とはそんなものだと思っている。


最後まで読んでくれてありがとう。次回も楽しみにしてくれるとうれしい。

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