「キレる私をやめたい」を読んだら、僕がイラッとする理由が言語化されていた
ざっくり本の紹介
著者・田房永子さんの実体験エッセイです。
田房さんは、普段は温厚で人に怒ったりしない方なんですが、些細なことで旦那さんにキレて、殴ったり、物を破壊したりする癖の持ち主でした。
片付けができていないことを指摘される等で、「自分はダメなやつなんだ」と思うことが、キレるスイッチになると気づいた田房さん。
セラピーや精神科医に行きますが解決しない。
そんな中、ゲシュタルト療法という心理療法を受けて、自分の「心」に注目してあげるメソッドを知ります。
田房さんは今まで、「状況」ばっかりに注目していて、「心」に注目していなかった。周りからも「状況」にばかり注目された声かけをされてきて「自分はダメなんだ」と心が傷ついた状態になっていました。
だから、旦那さんのたとえば「物をここに置かないでよ」という単なる指摘も、「お前やっぱダメなやつだ」と変換され、「これ以上自分をダメなんて思えないよ!どうすればいいの!」と心がパニックになり、キレるという行動に現れていたようです。
「心」に注目することを実践していった田房さんは、その後キレることがなくなりました。
わたしがイラッとしていたこと
この本を読んでいて、さすがにこんなにブチギレることはないけれど、イラっとすることはあるなーと思い返していました。
たとえば、妻に「保育園の準備した?」と聞かれると、いつもじゃないのですが、イラっとすることがありました。
これって、「準備した?」→「してないじゃん」→「何でやってないの?」→「言われなくてもそれくらいやっておいてよ」→「ダメなやつ」と変換していたからじゃないか?と気づいたのです。
わたしの場合は、「しっかりした大人であらねば」とか「頼れる夫であらねば」みたいなマインドが、その変換をさせていたんじゃないかと思います。
妻の同じ発言に対し、イラっとしない時もあります。その時の会話は、大体こんな感じ。
妻からしたら単なる確認なんですよね。やっていれば「ありがと」だし、やっていなかったら「出発までにやっとかなきゃな」だし。
自分をイラッとさせているのは相手ではなく自分自身
「こうあるべき」と自分が無意識に思っているようなことがある中で、相手の言葉を曲解して、それが自分のあるべき姿に対する攻撃だと捉える。
そんな自分で自分を不幸にするようなムーブを、無意識にしてしまっていることも多そうだなー、と思いました。
相手の言葉は、解釈を加えることなく言葉通りに受け止めた方が良いのかもしれない。
とはいえ、他人の言葉がきっかけで自分の感情が動くことはよくあります。でも、他人の言動は感情が動くきっかけではあっても、原因ではない。
自分の感情が動いたタイミングで、相手を責めたり自己嫌悪に陥る前に、「相手の言動の何が自分をそう感じさせたのか?」と考えると良いのかも。
その場では難しくても、後で振り返ってみることはできるんじゃないか。
案外、自分が勝手に相手を解釈して、自分で勝手に傷ついているだけかもしれません。
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