見出し画像

感想「車輪の下/ヘルマン・ヘッセ」

殴り書きなのでまとまりはありません。
精神的なものに一切詳しくないので、大体合ってないと思うけど、私が感じたことなのであってなくて良いというアレ。
親になる人に読んでほしい、聞いてほしい一作。

あらすじ
ハンスという少年がハイルナーという少年と出会ってなんやかんやある話。救いは無いです。

好きあらば自分語りというか、これはそういうところなので感じたままに書いて行く。
私はなんの才能もない、自分になんの期待もできない、平凡とはかけ離れた出来損ないの人間である。常にその感情に満たされているし、大切な人間が周りにいなくなったら自分は迷わず死ぬほかない、そのくらいに自分は自分だけでは生きていけない。家族や他人の存在によって生かされていると感じる。家族が、友人が、好きな人が、そのままの私で良いと言ってくれなければ今頃私はここに居ない。なんでこんな書き出しをしているのかというと、車輪の下を読む事で自分がどれだけ恵まれた環境に生きているのか実感できたからだ。好きなように生きて、沢山の趣味と出会い、美しいものに触れて、愛して、そうやってのびのび生きてきた。それが、ハンスという少年にはないのだ。天才故に家族含め周りの人間から期待の重石を乗せられ、趣味を奪われ、楽しみを奪われ、ろくに休息も取れないで勉強ばかりの日々。自分では考えられなかった。あまりに恐ろしい話だった。

そんな勉強の日々にも、あるきっかけでおさらばするハンス。ハイルナーとの出会いだ。
ハイルナーは感性が豊かで、自分の信念というか、芯というか、そんな感じの物を幼いながらに持っていて、他人の目を気にする事なく自己を貫ける少年。
一度はハンスとハイルナーは喧嘩別れするが、今一度友人としての仲を取り戻す。二人の友情は恋人よりも強く、深く、かけがえのない関係だった。特別、と呼ぶのが適切か。

何やかんやあって結局ハンスは鬱っぽくなってしまって学校を辞めて、虚無な日々、飯も砂の味でもしそうな程の。美味しいりんごを食べたり、苦い恋をしたり、就職したり、何なりかんなりあったけれど、結局彼は何かに追い立てられる日々と向き合う事がもうできなかったのだろう。私は最後の最後、ハンスは自死を選んだとしか思えなかった。自死とはいえ、ハンスを殺したのは冷たい水でも何でもなくて、周りの大人たちだ。そんでもって大人たちは最後まで自分がハンスを殺したことに気がついていない。おそろし〜。靴屋の人しか、その事実に辿り着くことができませんでしたとさ、おしまい、って、なんなんだ〜、クライマックスはもう涙が出たし、すごく苦しかった。どうしようもなく、やるせない、無力感。身を任せるのが心地良いくらいの絶望的なあの感覚。救いようがない作品の醍醐味。

色々と感じた事を話したいが、まずは苦い恋について触れておきたい。終盤のね、エンマちゃんって女にハンスが惚れて、口づけして、ほんの少しのふれあいをするシーン、たまらなく美しい描写だった。恋を知らない男の子が恋を知って、子供ではなくなる心理描写、女の子の口付けでへろへろになっちまうあの甘美な描写…堪らんですね。ハンスとハイルナーのファーストキスの時はこう、なんていうんでしょ、思考は水色だの淡い緑だの透明だの、純粋なイメージで満ち溢れ、危うさよりもそちらの方が強く感じられた。しかしエンマちゃんとハンスの口付けはそうではなかった。夕焼けの混じり合う空の色だとか、夜更けの藍色だとか、濃い桃色だとか、いっそのこと赤だとか、なんだ、なんて言えばいいんだ?予感の色、高鳴りの色、兎に角、爽やかな透明感ではない事が伝われば良い。まあそんな恋も残念ながら儚く散ります。ハンスはまともに相手になんてされてなかったんですね、エンマちゃんに。なーんにもハンスには言わずに街を出てっちまうんだもの。エンマちゃんの気持ちは知らんけど、童貞なら童貞らしく、がっつけば良いのになぁ、みたいなさ。あんなとこで止めて帰るのは男としてどうなんですかハンスくん!!!とか思いながら読んでた。自分なら今一番に美味そうな女を平らげたいもんで。このいくじなし!と、私がエンマちゃんなら思っちまうね。いや、本心はわからないが。

つぎ〜、父と母両者が揃っていないことについて。正確にはその様な存在が無かったことについて。前置きすると、片親が悪いとかそんな話では無いということ。世間一般的な話をするなら子に対して、父は厳しく、母は無償の愛で包み込む、そんな感じだと思う。ハンスに欠けていたのはそういう無性の愛だと、車輪の下の感想書いてる人は9割?10割?言ってるよね。ハイルナーとの出会いと並んで重要なんだもの。靴屋のおじさまが最後に手抜かりがあったんだ、と言っていたけど、本当にそうなんだよな。靴屋のおじさまだけはいつもいつもハンスを心配していたけど、ハンスには届かずじまいだった。もし、もしもだ、身の回りの大人たちがもっともっと真剣にハンスの事を考えていたら、無償の愛を与えてくれるような人が一人でも居たら、閉じ込められた箱の中から取り出して明るい世界を見せてくれる大人が居たら、きっと結末は変わっていた。勉強しなくてはならない、何者かにならなくてはならない、そんな、〇〇しなきゃいけないって期待の箱の中に閉じ込められて、それが正しいと信じていたから。「おとうさん、もうその辺でよしなさい」そんな風な言葉をかける誰かがあればよかったのに。悲しいなあ。
さっきも言ったけど、誰かがね、その箱を開けなきゃいけなかったんだと思う。開けるか、壊すか。ノックするだけではいけなかったんだ。でも、箱が開けられたとて彼自身が動かなければ意味がないんだ。彼自身の居る世界、殻の中から出なければ、ダメなんだ。もしその箱が空いたとき、明るい世界が待っている事が卵の殻の中で分かれば、明るい方を目指して彼は出られたのかもしれない。

ここで別の話になるが、とんでもないことに気がつく。
「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。我らが雛で、卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために。 」
私、少女革命ウテナ大好きで。この言葉が大好きで堪らなくて。まさかの。ま、さ、か、の、これの元ネタってまさかのヘッセのデミアンって作品だったらしいじゃん!?!?!?!?大混乱。自分の好きなものと好きなものが、美しい糸で繋がれて、金色に輝いている、私の摂取した美しい物は、こんな風に繋がっていたのか…。自分の人生に大きな影響を与えた少女革命ウテナの大好きなセリフがまさか、まさか、ここでこんな形で繋がるとは。
車輪の下を勧めてくれた友人に急いでこれを報告したら、そうだよー、と。彼女は私が自力でこの繋がりを発掘するのを推測していたのか。だとしたら、本当に嬉しい話だ。
「お勧めしたものだけを取り入れるのでは私の粗製濫造になるから、遠回りでもいいから自分で吸収して欲しい。」と彼女は言っていたが、少しズレた遠回りだったけれど、こうして自力で見つけられた喜びはやはり大きくて、感謝しかない。言わずに居てくれた事に。(友人は私がとんでもなく少女革命ウテナが好きな事を知ってる上で車輪の下を勧めてくれた。)
話を戻す。要は私が言いたいのは、ハンスは生まれずに殻の中で死んだ雛だったのだという事。友人は様々な事に詳しく、よっぽど論理的な考察をしていたけれど、あえて私は自分が感じたままを記している。

ここで一つ触れておきたいのが、ハンスはハイルナーと出会うべきで無かったか、出会うべきであったかについて。私は前者だと思うし、出会わなければこの子は一生大人の操り人形で居ただろう。高い高いプライドだけを一生懸命抱えて磨いて、校長先生みたいになっちまったかもしれない。そんな風になるくらいならば、美しいものを愛する心を少しでも取り戻して、勉強漬けの日々に疑問を持って、そして絶望して死んだ方がまだマシなのだと私は思うし、私の思考なので異論は認めません。校長の様に、誰かの自尊心を、感受性を、踏み潰して平気で居られる、というかそのことに気付きもしない愚か者になってしまうくらいなら、死んだ方がまだ救われる。ひとごろしになるよりはマシだろうという話を私はしているのである。
ハンスがハイルナーと過ごした時間はかけがえのないものであっただろうし、遅かれ早かれ、自分の生き方に疑問を持つのが人間だろうし、何にせよ、出会わなければハンスは生きていられたのに、みたいな思考は私には無い。

つぎ、ヘルマン・ヘッセの人生について。ヘッセも幼い頃、とても優秀で神学校に入ったが、ハンスの様に勉強勉強勉強!の毎日。そして脱走。自殺未遂だのなんだのあったが、いろんな仕事をしながら作品を書いていたらしい。んでもって有名になってこんな感じで色んな人に知られる作品を生み出したわけか。ハンスにはなくて、ヘッセにはあったものってなんだろうか、それは至って簡単で、母の存在。めちゃくちゃ大事なんだよ、無償の愛って、子供のことを本当に考えてくれる存在って。みたいな、そういう訴えが私には感じられた。何回も言うけど、母親がどうのということではなく、無償の愛がハンスには必要だったね、という話。伝われ。ウィキペディアとか考察とか読めば散々出てくる内容なので書くのもどうかと思ったけど、ちゃんと私がこの作品を通して感じた事なので書いた。
そんで、この作品に出てくるハンスはヘッセ自身だという話は今したけれど、ではハイルナーは誰か、ハイルナーもヘッセだ。「詩人になれないのなら、何にもなりたくない」と、ヘッセは神学校に居た時に悩んで、病んでしまったとの事だけれど、詩人になれないのなら何にもなりたく無い!って、美しいものへの情熱、愛、憧れを捨てなかった面がハイルナーとして描かれている。

まとまらないんだが…。現代社会人の生き方も似てるよね!みたいな話もしたい所ではあるけれど、それは私の話したいこととはズレているので省略。似てるよね、で済ませられるくらいなもんなんだろうか、どうなんだろうね。私たち現代社会人もみんな、毎日毎日苦しいくらいに追い立てられて、車輪の下敷きにならない様に、必死に生きているのは分かる。

さいごに、ハンスが溺れた川について、彼が今までで感じた温度の中で、一番温かいと良いな、と。以上。クソ長くなったけど、取り敢えず終わり。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?