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パリの映画館で観た戦場のメリークリスマス

1982年にパリに住み始めた頃、まだフランス語も話せずパリの生活に慣れない私を、職場の先輩達が休みの日に、ボーリングや食事に連れて行ってくれた。

その中でも、パリで1番大きい映画館に連れて行ってくれたことを、とてもよく覚えている。

オペラ劇場を映画館にした建物は客席が円形状になっていて、田舎者の私はその大きさと歴史を感じる建造物に圧倒された。映画を観ながらタバコも吸えるため、多くの人が自由にお酒を飲み、タバコを吸いながら映画を楽しんでいた。

当時、ミッテラン政権が始まったばかりのフランスは、治安が悪く低賃金と人種差別などで外国人にとって住みやすい国ではなかった。特に言葉の問題は大きく、英語はすべてフランス語読みで、ハンバーガーの商品名ですら、わざわざフランス語で読んで注文する。

映画で英語のタイトルのままだったのは、ランボー、E.T.、スター・ウォーズだけだったように思う。タイトルは英語のままでもチケットを購入するときはフランス語で読んで、映画を観るとフランス語の吹替になっていた。

私は、E.T.とスター・ウォーズ/ジェダイの帰還をフランス語吹替版で観たが、さすがにルーク・スカイウォーカーが父親のダース・ベーダーに助けを求めるシーンは英語の方がよかった。

私は日本料理店で働いていたので、無修正のオリジナル版が観られるというのを知っている日本人観光客に、どこで上映しているのかよく聞かれた映画があった。

それが、日仏合作の大島渚監督の映画「愛のコリーダ」(L'Empire des sens)だった。

小さな映画館で毎日上映していたが無修正だからといって、なぜ、愛のコリーダを観たいのか、せっかくパリに来たのだからエマニエル夫人を観た方がいいのでは?と、いつも不思議に思っていた。

1983年に戦場のメリークリスマスが公開された。

そこで知ったのは、大島渚監督はフランスでも巨匠だった。パリの数ヶ所で上映されていて、シャンゼリゼ通りにある映画館の看板に特大の文字で書かれていたのは、

UN FILM DE
NAGISA OSHIMA


映画のタイトルと坂本龍一とデビット・ボウイは大島渚監督の下に小さな文字で書かれていた。

大島渚監督のフランスでの存在感に感動して、私はしばらく立ち止まって看板を見ていた。日本人として誇らしく思い、胸が熱くなったことを覚えている。

当時、パリで活躍していた日本人は、山本寛斎と高田賢三で、山本寛斎と道ですれ違ったことがあるが、数メール先からオーラを放っていた。私の中で、日本人デザイナーに決して引けを取らない、いや、それ以上のインパクトで誇れる日本人として大島渚監督が加わった。

戦場のメリークリスマスのフランス語のタイトルは「FURYO」

街中にポスターが貼られていたが、サンミッシェル付近のポスターは、何故かすべてビリビリに破られていた。そのポスターを見ながら、破られた意味を考えてみたがいまでもわからない。

パリに数ヶ所しかないが「ORIGINAL」と看板に書いてある映画館はフランス語の吹替ではない。この記事を書いてる途中で、私はオリジナル版で観たのか、フランス語吹替版を観たのか、記憶が曖昧になってきたが、おそらくフランス語吹替版を観たと思う。

昼過ぎに観に行き、夕方に映画館を出ると、エンドロールで流れた曲が頭の中でリピートして、夕暮れ時の人通りの少ないパリの路地と音楽がとても合っていた。地下鉄は使わずに余韻に浸りながら、暗くなった道をゆっくり歩いて部屋に帰った。

21年に4Kリマスター版を映画館で上映するのを知り、しかも上映する映画館は徒歩で15分以内の場所だったので観に行った。

改めて美しい映像と音楽だと思った。

パリで観たときの、大島渚監督作品の期待と興奮。夕暮れ時に歩いた路地と、パリで暮らす当時の私の希望と不安が交差する感情と、看板を観たときの日本人としての誇らしさを鮮明に思い出した。

「Merry Christmas, Mr. Lawrence」を聴くたびに、映画館を出たときの景色とパリの街並みを思いだす。


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