No13 子どもの心を育てるために

時代の流れで「完璧を目指さない方が良し」とされて随分経つけど、それでもみんなが「より良く生きたい」を目指していることは確かで、〇〇が子育てに良いらしいと聞くと教材を購入したり、習い事をさせたり、音楽を聞かせたりと必死に何かを与えるというのをよく見聞きする。
・優しい心を育てる
・賢い子になる
・強い心を育てる
これらは日々様々なコンテンツで目にするワードだが、私はそれをとても冷めた目で眺めている。
「優しい心」って、例えばどんな??
お年寄りに優しくすること?それとも家族に対して?お友達に?優しさを教える時には、逆の厳しさも伝えないといけないと私は考えているし、優しくしたことが仇となることだって世の中には沢山ある。
賢い子も、賢さや知恵を「良いこと」だけに限定して使うものだと通常は考えられるかもしれないけど、犯罪に使われることだってある。賢ければ良いわけでもない。強い心も同じ。
世の中で漠然と「良し」とされているものやニュアンスは、必要な要素ではあるけど、世間の求めるそれらは時に無責任なものだと言える。
だから周りのニーズに応えすぎないこともとても大切で、そこに必要なのが判断力だと考えている。
「的確な判断力」があることで、多くの問題は解決するはずだ。
だから私は「判断力を養う」ことこそを子どもに教えたい!!
状況に応じた「優しさ」や「賢さ」や「強さ」を発揮することができれば、よりベターな人生を送れるだろう。
ではその「判断力」をどう育てるか。
それは、親が「良い」と思うものを強要せず、子どもが興味のあるものを与えること。子どもが選んだものに「興味」を持つことだと私は考えている。
読んで欲しい心に良さそうな絵本、聴かせたい音楽。見せたい映画やアニメは沢山あると思う。ただしそれらを提案している私たちは大人なのだ。大人と子どもでは「見る視点も感じる感性も違う」のが当たり前。むしろ、勧めたものを見て思ったような反応が返ってこなくてストレスを溜めるより、好きなものに夢中になっている姿から「子どもの好き」を観察してみるのも楽しいものだ。
子どもが選び取る情報やアイテムに関心を寄せることは、子どもの選択を信頼している状態と言える。そうすると子どもは自分の選択に自信を持つようになる。
そんな些細な選択(判断)で良いのだ。
更に自分で決めたことだから、「良し悪し」もしっかり実感できる。
自分はこっちと思って選んだけど、あっちの方が良かったかもな。
それも最高の経験だ。どっちも選ばない、又は両方を選択するための方法を考え出すきっかけにもなると思うから。
私たちは様々な苦労をしてきたからこそ、子どもにはさせたくないと無意識に思ってしまうが、むしろそれは逆で、色々な経験をして色々なことを感じたから「今の私」があることを忘れてはいけない。
山ほどの選択(判断)をしてたどり着いた今だからこそ、失敗にも価値があると知ることができた。間違えることも同じ。
全部親が決めていたら、失敗しても親のせいとなるのが関の山。
でも、それでは親がいなくなったらどうするのだろう。
自分の望む人生を自分の力で切り開いていけるように。
誰もがこれを心の奥底では願っているのではないだろうか。

私は、自分が死んでも子どもが自分の力で生きていけるようにということを心の片隅に置きながら今を共に過ごしている。

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