見出し画像

何を書き、何を書くべきでないか【ハイダグワイ移住週報#23】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

1/26(金)

来週から新しいルームメイトが入居してくるとのこと。11月のウェルネス・キャンプで会ったサシャだ。また新しい生活が始まることになる。少し不安もあるが、楽しみ。

同居人が寝ていたベッドルームが彼女の部屋になり、彼はキャビンで過ごす予定なのだとか。午前中のうちは部屋を徹底的に掃除しておく。冷蔵庫のコンパートメントを一部、キッチンの棚を一部、新しいシェアメイトのために空ける。

僕は2018年に実家を出てから、一度として一人暮らしをしたことがない。大学の時は学生寮、留学中も12人でシェアするコリドーに住んでいたし、ゲストハウスに数ヶ月寝泊まりしたこともある。岩手と長野ではシェアハウスに住んでいた。誰かと住むのには慣れっこだ。とはいえ、シェアメイトのことを十分に知るのには決して短くない時間がかかる。いい生活環境を共に新しく作れればいいな、と思う。

リビングとキッチンも掃除し、薪ストーブに火を入れてから走りに出かける。今日はあまり時間がないので、5キロのペース走にする。100メートルを4分20秒ペース、50メートルを5分ペースというリズムを交互に繰り返す。息が上がり過ぎないように、マラソンレースよりも速いペースを維持する。

川に30秒浸かってクールダウンをし、シャワーを浴びる。ささっとスパゲティを調理して食べ、村に向かう。

***

今日は出勤前に、マネージャーのダニエルとの面談がある。二週間に一度、おたがいの仕事の状況や思ったこと、アイデアを共有する時間だ。

「無力感を感じることがあって」僕は正直にダニエルに感じたことを語る。物静かながら情熱をもって仕事とコミュニティに打ち込んでいる彼には、思ったことを気軽に打ち明けられるような信頼感がある。
「先住民コミュニティの悲惨さ、歴史的なトラウマの爪痕の大きさは勉強して知ってはいた。けれど、その実態をこの目で見ることになったのは大きな衝撃だった」

先住民コミュニティにおける家庭内の問題や貧困問題、構造的なレイシズムは、外からでは見えないようにうまく隠されている。コミュニティにおけるケアの仕事を始め、より深く人々に関わるようになったことで、その不都合な事実を垣間見ることになった。

家庭環境、食習慣、人間関係、どれも僕が生まれ育ったものとは大きくかけ離れており、決して健康とは言えないものだ。最初は動揺し、怒りがあり、困惑があった。そんな状況に陥ってしまったのは彼らの過失ではなく、カナダ植民地主義と構造的レイシズムによるもっと闇深いものがあると思うと、無力感に苛まれる。

「僕らの仕事はつねに感謝されるものでもなければ、効果がすぐ目に見えるものではない。それは確かだ」ダニエルは言う。
「それでも、目の前の一人一人を負の連鎖から救っていくことには必ず意義がある。時間はかかるかもしれないけれど、僕たちの仕事の重要性が理解される日は必ず来る。僕はそう信じてやっているんだ」

この国の先住民政策は、ホテルを例にして語られることがある、と彼は続ける。

あるところに大金持ちが突然やってきて、元々いた人を退かせて勝手に大きなホテルを建てた。そのオーナーは障がい者に対する強い差別意識をもっており、障がいがある人の必要な設備を全く設けず、彼らの入店さえも拒否した。
とあるタイミングでオーナーが代わり、新しくやってきた支配人は偏見などないというスタンスで、これまで拒否してきた障がいを持つ人もウェルカムです、と宣言した。ただ、そのホテルの掲げる声明だけが変化しただけで、アクセシビリティは向上されず、ホテルは構造的な欠陥を抱えたままであった…

「この話における『ホテル』が、カナダであり、植民地主義だということだ。いかに表向きの政策が先住民に対して融和的になっても、この国はもっと構造的な問題を持っている」
ダニエルもドイツから移民し、ハイダグワイの先住民コミュニティで長らく働いている。同じ外国から来たもの同士、一定のニュートラルな立場でカナダの歴史を語ることができるのはありがたい。

ミーティングが終わった後、ダニエルが一冊の本を手渡してくれる。カナダのインディアン法についての本だ。2月の課題図書ということにする。

***

職場に着くと、ふたりのクライアントはご機嫌だ。夜、スタッフのひとりであるセリーナの娘の誕生日会に行くのだという。プレゼントのラッピングを手伝い、18時前にふたりをバンに乗せてコミュニティホールまで行く。

ホールではたくさんの子どもたちがバスケットボールに興じていた。お母さんたちは食事の準備に忙しそう。リリーおばあちゃんと彫刻見習いのカールソンがいる。それ以外は知らない現地人だ。
「あなたもスタッフなの?」セリーナのお母さんのサマンサが話しかけてくる。
「そうです。8月に日本から越してきて、12月から仕事を始めました」
「あらそうなの!あなたのクライアントの一人は、私の幼い頃からの友人なの。あなたたちの仕事には本当に感謝しているわ」ときどきこうして受け取る現地の人からの感謝の言葉が一番嬉しい。

食事はピザ、ミートソーススパゲティ、シーザーサラダ。ハイダの村での食事会あるあるメニューだ。別に文句はないけれど、健康的な食事とは言えないよなあ、といつも思う。そういえば午前中のミーティングでダニエルと話した時、先住民の家庭の食習慣の問題についても触れたんだっけな。

先住民の伝統的食習慣は人間と自然どちらに対しても健康で持続可能なものだった。それが植民地化によって、植民者の食習慣に取って代わられる。それにもかかわらず、遠隔地のハイダグワイには新鮮な食材の流通が行きつかず、現地の家庭の多くは村にあるひとつの売店で買えるものだけを食べていたのだ。
冷凍ピザ、冷凍チキン、クラフトディナーというインスタントマカロニ&チーズ。野菜は高価で質も悪かった。そんな食習慣から、先住民コミュニティの多くでは肥満も問題となっている。こんなに海の幸が豊富なのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

ケーキの上のキャンドルが吹き消され、子供達は熱心にプレゼントを開封している。よかったね。疲れた様子のクライアントたちをバンに乗せて早めに家に戻る。夜食を用意し、薬を投与し、ベットの準備をする。次のスタッフが交代でやってきて、職場を後にする。

四連勤も明日で終わりだ。明朝はロングランを走りたいので、ストレッチを十分にして早めに寝る。

1/27(土)

ストーブに火を入れることから1日が始まる。いつもの通りパンケーキとスクランブルエッグで朝食にする。僕はルーティンに則って生活を送ることを心地よく感じる人間である。四連勤の最終日。午前中は昨日ダニエルに借りたインディアン法の本を読み始める。これでも一応法学部で国際法を勉強していたということを思い出す。

空にはうっすらと雲がかかっていて、霧のような雨がうっすらと降っている。風はほとんどない。長距離ランをするには最高の1日だ。

ルークがいつも練習していると言うコースを走る。今日はトレイルやビーチではなくハイウェイと砂利道を走るので、普通のロードランニング用シューズを履く。

15キロを一時間半かけて走る、ロング・スロー・ディスタンス方式のトレーニングだ。僕の筋肉は始動が遅く、温まるまでに時間がかかる。短距離や突発的な運動には向かない。逆に、筋肉が温まって一度テンポを掴めば、継続的に長時間心地よく動いてくれる体なのである。

こんなこと、21歳で自発的に筋力トレーニングを始め、道を走り始めるまでは気づきもしなかった。高校までの体育の時間は(水泳以外)大嫌いで、いつも自分は「運動神経が悪い」と思っていた。そもそも、小中高の授業で学んだ大切なことなんてほとんどないように思える。学校で学べることは、「大切なことは学校では学べない」ということだ。

生まれ育った大阪を後にし、進学で上京し、抱えきれないくらいの自由を得た。そこで気がついたのは、僕は自分が好きなことを、自分が好きなように、自分が好きなだけやらせてもらえれば、ある程度の成果を出す(出るまで頑張る)ということ。それは勉強や語学、日常の生き方とルーティン、ひいては毛嫌いしていた運動というものにも当てはまった。

尊敬している人物や親しい友人の影響で何かを始め、感覚を得てバランスを掴み、好きになる。日々のルーティンのなかに組み込まれ、少しずつ毎日成長する実感を得る。そのようにして、ささやかながらも少なくない数のものを身につけてきた。「走る」ということは、その顕著な例だ。

走りながらいつもは何も考えないのだが、今日はたくさんの思考が頭の中を巡った。このところ、ずっと強者・多数派による弱者・少数派への加害、そしてその歴史を語ることについて考えている。カナダの先住民抑圧、構造的レイシズム、ハイダグワイにおける個々の家族の現状。人間の尊厳に関わる問題だ。自分の祖国も他人事ではないのかもしれない。いや、そのまえに自分は日本のこともカナダのことも知らなすぎる。4月に旅するスカンディナヴィア北極圏のサーミ族の状況はどうなのだろう。

もっともっと訪れられるべき場所があり、もっともっと読まれるべき本がある。会わなければならない人もいる。焦ってはいないけれど。そんなことを考えながら、巨大なスプルースの立ち並ぶ砂利道を走っていると、あっというまに一時間半が経った。酷使した筋肉を川に飛び込んでクールダウンさせる。

***

昼ごはんにはタンパク質を多分に摂りたかったので、鹿肉の酒蒸しハンバーグと卵かけご飯をつくる。いつも鹿肉ハンバーグにはベーコンのみじん切りを少し混ぜていたが、今日は切らしていたので鹿肉ミンチのみでつくる。やっぱり少し旨みに欠ける。

出勤するまえにスーパーに寄る。白菜の漬物を作りたくて大ぶりの白菜(2キロほど)を買ったら、十五ドルもする。どうせ白菜だし、とあまり値段も見ずにカゴに入れていたので仰天する。いくら酷いインフレのカナダといっても、これはいくらなんでも高すぎる。

バンクーバーで買ってきた料理酒を切らしてしまったので、酒屋に日本酒を買いに行く。月桂冠の750ml瓶が十ドル。安い。バンクーバーで買った同じ容量の料理酒が九ドルほどだったので、お買い得に感じる。セゾンスタイルのクラフトビールも買っておく。

職場に向かう。クライアントのふたりは午前中に村のレスリングクラブの試合を見に行っていたようで、ご機嫌だ。夕方から一緒に生地をこねてピザを作り、焼きたてピザを頬張る。寝るまで読み書きを一緒に勉強する。平和な1日だった。

***

帰宅後はセゾンをひと缶開け、ゆっくりする。となりのタモが送ってくれたドキュメンタリーを鑑賞する。彼の一作目の映画。

登場するのは、彼自身スノーボーダーのタモをはじめとして、BC州に拠点を置き、自然の中でのスポーツに打ち込むアスリートたち。彼らは純粋にスポーツを追求するということより一歩奥に踏み入り、先住民たちが主導する自然環境保全と脱植民地化のための運動に参画していく。さまざまな先住民コミュニティとアスリートたちの関係が描かれている映画だ。

自分たちの守るべきものがあるって素敵なことだな、とつくづく思う。自分には彼らほど、自らを賭けて守りたいと思えるものがあるのだろうか。都市部郊外で育った人間は、文化的アイデンティティという面で希薄である。僕にとっては大阪弁くらいだろうか(それも相当薄れてきてしまった)。

特定のひとつのものにすべての労力と時間と人生を賭けられる生き方は、今の僕にはできない。挑戦したいことも、守りたいものも、行きたい場所もまだまだあまりある。今はより大きなPictureで世界を見て、人々の生き様を目に焼き付けて、本当に守りたいものを見つけていきたい、と思うのである。

1/28(日)

ゆっくり起きて、コーヒーを淹れる。昨日の長距離ランの疲労がすこし残っているので、今日のランはパスだ。休息も大事。冬の間は永遠の薪割り祭りのようなものだ。焚き付けも薪もいくらあっても足りない。薪割りの仕事自体はコツを掴んできたので効率的になってはいるのだけれど。

オーディオブックで「海辺のカフカ」(村上春樹)を聴く。大学三年生の春休みとかに読んだんだっけな。一種の単純作業である薪割りとオーディオブックはなかなか相性がいい。サウナに火を入れる。今ある丸太を割り終わる頃にはちょうどよく温まっているはずだ。

そうこうしているうちに、青いマツダのセダンがやってくる。サシャだ。久しぶりだね、と言葉をかわす。彼女は2月頭から引っ越してくるのだが、そのまえに荷物を運び込みにきたのだ。

「六年前に島に来た時は車のトランクにぜんぜん余裕があるくらいのものしか持っていなかったのだけど、今では数往復しないといけないほどよ」彼女の車はたくさんの観葉植物と楽器、本でいっぱいになっていた。僕も引っ越しを手伝う。

タロンはキャビンで寝ることになり、母屋は僕とサシャのふたりになる。新しい同居人との生活がどんなものになるのか、今から楽しみである。

十分にストレッチと筋トレをし、サウナに入る。久しぶりに嵐が来ており、外は暴風雨だ。屋外サウナに入るには最適の日。3セット、ゆっくり身体を温めた後は満ち満ちた川に飛び込む。

***

温まった後はタモの家に顔を出しに行く。タモのいとこのジェレミーが遊びに来ていた。バンクーバー出身の彼は初めてのハイダグワイ。一週間ほど滞在するらしい。
「タモの父方のいとこなんだ。バンクーバーで実家も近くて、年も同じ。一緒に育ったようなものだ」ジェレミーは今は弁護士として働いているのだという。

アメリカン・フットボールの試合を観に、村唯一のパブに向かう。薄暗いパブには数人の男たちがすでにテレビの前に居座っている。僕たち3人もならって試合を観戦する。

アメリカのドラマでよく耳にする、いわゆる「スーパー・ボウル」の予選のようだ。こちらでは「フットボール」と呼ばれるアメリカンフットボールだが、僕は生まれて一度も見たことがない。タモとジェレミーに教えてもらいながらじわじわとルールを掴んでいく。

いかにもヒッピーだったかのような、白髪混じりのロングヘアをたなびかせる初老の男性がやってくる。マイクと名乗るその男は僕の隣に座る。

「君はあの川沿いの家に住んでいるのか。コーホー・コテージのことだな。あそこでは昔パン屋さんをやっていたんだ。懐かしいね」
マイクはマセット界隈で不動産をやっており、それと当時にサーフィンショップのオーナーでもあるという。
「出身はカナダ東海岸だけど、18の時にハイダグワイに初めて来て、20代半ばに引っ越してきてから25年だよ。もう長いね」

マイクも試合に一喜一憂しつつ、ご機嫌に僕にルールを教えてくれる。試合後半には僕も楽しみどころが理解でき、試合自体もなかなか良い勝負で楽しく観戦できた。パブでフットボールを観ながら、ビールとフライドポテトをつまむ。北米の休日という感じだ。

家に帰ると近隣一帯が停電になっている。アルコールランプをつけ、ストーブに火を入れる。ゆらぐ灯りで少し本を読み、吹き消して早めにベッドに入った。

1/29(月)

朝から少し体調が悪い。疲れが溜まっていたのだろうか。本を開いてみても圧倒的に疲れと眠気が勝る。午前中の大半は寝る。

夕方にルークからメッセージが来る。「ムースのパスタ、作りすぎたんだ。食べにこないかい?」もちろん。寝過ぎて腹ペコであった。

このところママのレイチェルは新しい看護ライセンスの研修真っ只中で大忙しのよう。娘のエレーナの相手はいつもパパのルークである。
「大人の会話ができるだけで嬉しいよ。エレーナと過ごすのももちろん楽しいけれど、1日に少しでもちゃんと『会話』ができるのは息抜きにもなるんだ」少し疲れの浮かんだ表情でルークが語る。

こちらにきてちょうど半年。エレーナが1歳半から2歳近くになるまで隣で過ごしたということになる。子供の成長はすごい。泣くことしかできなかった彼女は、今では中一英文法くらいの構文を使って話す。スポンジのような吸収力だ。

***

エレーナがパスタに必死になっているあいだ、ルークに気になっていたことを話す。
彼のハイダ族としてのアイデンティティと、ハイダ族におけるアダプション(養子)制度について。あの人は○○のクランにアダプトされた、僕は○○おばあちゃんによってアダプトされた、という話をよく聞くのだが、あまりピンときていなかった。Adoption(養子縁組)Adopt(養子を取る)という言葉が、あまり親しみのない文脈で使われている。そういえばルークもどこかのクランにアダプトされていたことを思い出し、聞いてみる。

「僕の両親は二十代前半で島にやってきた。教師であった母が南のダージン・ギーツ村の小学校教諭になったんだ。それで父親もひっついてきたわけなんだ」
僕とほぼ同い年でやってきたルークの父親は、カヤックにしか目がなかった。母親が仕事をしている間、島の子供達とバスケットボールに興じ、海に漕ぎ出ていたのだという。

「そこで、父はジャドソンというハイダの青年に出会う。気が合った彼ら二人はずっと一緒に海や山に繰り出した。まるで双子のように」
「そして、ジャドソンが父親を養子にしたんだね?」僕は尋ねる。
「そう。ハイダは輪廻転生の世界観を持っていて、故人は生まれ変わってハイダグワイに帰ってくると信じている」

ルークは続ける。「ハイダ族でなくても、島やコミュニティに対する多大な貢献をした人間は、『遠い昔の先祖の生まれ変わりが島に戻ってきた』ということでクラン(氏族)に組み込まれる。これがハイダにおけるアダプション=養子のシステムなんだ」

ジャドソンはルークの父親がとある先祖の生まれ変わりだと確信し、クランのチーフ(族長)に彼を弟として養子にしたい、と申し出た。
「チーフが許可し、個人はクランの一員となることを認められる。そして次のポットラッチの場において、すべてのクランの前でハイダネームが授けられ、ダンスを披露する。ポットラッチ会場で拍手を受けることで、正式にクランメンバーになるんだ」

母親について島にやってきたルークの父親はハイダのコミュニティに生涯を捧げることになる。ジャドソンの母親である長老のグワーガナドからハイダ語を学び、スキディゲート村の語学保全プログラムでは発足当初からコーディネーターとして活動。今では数少ないハイダ語のネイティブスピーカーになっている。
「父親はジャドソンとともにイーグルのクランの養子になったけれど、僕と弟と妹は母親と共にレイブン(ワタリガラス)のクランの養子になったんだ」

ルークの右腕にはワタリガラスが描かれたハイダパドルが刻まれている。「僕は見た目は完全な西洋人で、こうした先住民のタトゥーを入れていると『文化盗用では?』と思われることもある。でも僕は島で生まれ育ち、ハイダが僕の家族なんだ」

カナダのインディアン法において、血統的に登録されている先住民は「ステータス・インディアン」と呼ばれる。彼らは先住民登録カードを持ち、それによって様々な待遇(時には差別)を受けることができる。ただ、そんなものは西洋式の戸籍制度に過ぎない。
「ハイダは悠久の昔から、自分たちのメンバーを自分たちで決めてきた。『カナダ政府の戸籍上、インディアンではない』なんて、この島では問題にならないよ」とルーク。

ムースのパスタを3人でぺろりと食べ切ってしまう。エレーナがぐずぐずモードに入ったところでお開きとする。また明日ね、と言葉を交わして別れる。喉を温めて寝ることにする。幸い明日は休みだ。

(一月末は寝込んでいました)

2/3(日)

体調がだいぶ回復した。満足に声も出せる。外を走れるほどではないが、日常生活は送れそうな気力はある。

ジュディに声をかけられて、ルイズおばあちゃんの家に行く。毎週恒例のゲームナイトだ。ルイズおばあちゃんにも他のおばちゃんズにも久しく会っていなかったので、少し顔を出しに行く。プレイしたのは毎度のフェーズ10。この人たちは本当にこのゲームしかしない。飽きないのだろうか。

ゲーム中、ハイダ族の葬祭についていろいろと教えてもらう。
とあるファーストネーションにおいては、葬祭をはじめとして、儀式について記述することは固く禁じられている。参列できるのは招かれた者たちのみで、会場では入場者は厳しくチェックされる。そのうえで、儀式が荘厳に、密やかに執り行われるのだという。
「カナダ政府が過去に開拓者によって記述された儀式の内容に基づいて、それを法律で禁止にした。書かれることで、文化は奪われてしまったのよ」

文字にすることで実体を与えられ、搾取と迫害の対象になってしまうものがある。ハイダ語をはじめとして、先住民の言語は文字をもたないことが多い。
もちろん文字を使って記述できないということは、ドキュメントされた歴史が残らないという面が現代の僕たちから見ればデメリットとして見て取れる。しかし逆に、文字で記述されずに口承として人々の頭の中に刻まれるのならば、いわば集団的に隠し通すことができる。「記述する」ということ、「記録する」ということが暴力的にもなりうるのだな、とふと思う。何を記述すべきで、何を記述すべきでないか。そういうバランス感覚のようなものを、この濃いコミュニティで生活し、働きながら、誠実に身につけていきたい。

***

帰宅後、親友のたばちゃんと電話をする。
高校一年生から早10年のつきあいである彼とは、いまでも不定期ではあるがたまに連絡を取り合っている。国際協力NGOの職員で、今ではウガンダ駐在3年目に入ろうとしている彼である。このところ考えていた「加害の歴史について語ること」について、彼ならまた面白い視点をくれるのでは、と声をかけた。

彼と話していて面白いのは、僕たち二人とも海外で生活し、仕事をしているのに、話題に上がることの多くが日本社会に関することだ。

彼はウガンダで食糧生産支援の活動をし、僕はハイダグワイでトラウマケアの仕事をしている。どちらも、その地域の平和とヒーリングに関するもの。ただ、局所的な正義を実現しようと頭を働かせると、否応なくもっと大きな構造というものに行き当たる。

食料問題や植民地主義は、環境問題、エネルギー問題、現実の紛争、格差、すべてとつながっている。そして僕たちの問題意識は僕たちが生まれ育った日本という国に帰り着いてくるのである。自分の祖国が異常であるのに、いかに自分たちが今いる場所の平和構築やヒーリングを実現できるのだろう。

彼と話した内容についてはまた一つの記事にしておきたいと思うので、ここでは詳らかにしないでおく。政治や国際情勢、仕事と生き方といった極めて個人的かつ込み入った話は、なかなか高校時代の友達とはしにくい。自分で付き合う相手を選べるようになる大学以降の友人と違い、高校の同級生というのは自分が好む好まずに関わらず半ば強制的に形成されるものだ。そんな中で、ひとりでもそのような話に真剣に耳を傾け合える友人を見つけ出すことができたのは、僕の人生におけるひとつの幸運と言ってもいいのではないだろうか。

***

***

ニュースレターの配信を始めました💐

メールマガジンにご登録いただくと、週報記事の更新とともに近頃読んだものや本作りのプロセスについてのつぶやきが届きます📩

***

🌱はじめまして!自己紹介はこちら

🏝️カナダ最果ての地、ハイダグワイに移住しました。

移住日記は以下のマガジンからどうぞ。

☕️「TABI LABO」連載記事もご一緒に

Webメディア「TABI LABO」での連載企画です。



読んでくれてありがとう!サポート頂ければ感謝感涙ですが、この記事を友達にシェアしてもらえる方が、ぶっちゃけ嬉しいかも。また読んでください!Cheers✌️