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残酷さは恐怖が生み出し、恐怖は知識により克服できる

お久しぶりです。
SISです。

最近の寒暖差により
周りに体調を崩す人が増えています。

私も少し前に体調を崩しかけていたのですが
自分の不調から食べるものを調べて考えて
生活リズムを整えるようにしたら
なんとか持ち堪えました。

私がそうやって本当の今での
体調管理が出来るようになったのは
今まで見てきた本やYouTubeなどで
得た知識が積み重なったものだったのですが

小さい頃から病気がちだった私が
病気の恐怖に直面するたびに
防具として身につけていった
知識でした。

一番大きなきっかけだったのは
中学3年生の時に
あるノンフィクションの本を読んで
「急病に倒れて生活が一変する」
という出来事がこの世に存在する
という事実に恐怖し
ノイローゼ気味になったことです。

恐怖心というのは
人を変えてしまいます。

田舎で時代背景的にも
心療内科や精神科などが
敷居が高かったからか
私は当時お祓いに連れて行かれました。笑

おそらく何かに憑かれていると
思われるような異様な行動を
取っていたのでしょうね。

私はその時は半年くらい
とにかく恐怖に怯えていて
周囲のことはあまり覚えていません。

時は流れて
私はいつものように
中田敦彦さんのYouTube大学で
中国史を見ていた時のことでした。

古代中国といえば
残酷な処刑方法が有名です。

そしてある一定の年齢から
上の層になると
「中国人は〜」みたいに
中国の方に対する人格的な部分を
批判するようなことを言う人が
増えてくるように思えます。

これは歴史や戦争によることも
関係しているのかもしれませんし

私は大きな主語で語るのは
あまり好きではありませんが
中国の方の国民性の一つに
我々日本人が持たないような
攻撃性があることも一理あるかと思います。

ただそれは国民性というよりは
地政学的な理由で

他の多くの国と隣接する大陸の国で
日本のような島国のように
のほほんと暮らすことが出来ない
異民族からの脅威があるので
より攻撃性や徹底力が求められる
環境にあるのだと思います。

古代中国の処刑方には
平和な中で生きる私たちが
想像もつかないような残酷な刑罰があります。

それをどんな気持ちで考えるのだろうと
想像してみた時に

自分に反旗を翻る者に対する恐れが
過剰な正当防衛や
「根絶やしにしよう」という
考えに結びつくように思えました。

以前別の投稿でお話ししたかも
しれませんが
人が恐怖に心を支配されたら
ゼロリスクを目指さなければ
不安で仕方ないため
極端な行動に出ることがあります。

私たちはそうやって
恐怖に支配されて
極端な行動に出る人を
コロナ禍で目にしてきています。

それは
「自分が病気でないことを100%証明したい」
と躍起になっていた
中学生の頃の私のようでした。

ただある時に2つのことに気づくのです。

この世の中に100%などなく
100%を目指すことこそ
報われない努力であること

恐怖感というのは
知識をつけることで
ある程度乗り越えられるということ

私はその後もちょこちょこと
病気になりはするのですが
事前に調べて
ある程度病名に目星をつけることで
病気そのものの恐怖感は薄まりました。

そしてどんどんと時代が進み
情報が手に入りやすくなるとともに
今まで漠然と遅れていたものの正体まで
ネットを介して明らかになっていきました。

結果恐怖心が薄れて
様々なことにチャレンジできるようになり
今年ついに中東に一人旅できるようにまで
なりました。

知識を手に入れた人は
挑戦しようという気持ちになり
それにより世界が広がり
人を攻撃する必要がなくなるのです。

コロナだって広まって身近になり
みんなの間で知識がつくにつれ
人々の恐怖心は薄まっていきました。

今ならばわかります。

攻撃性を持つ人は
何かに怯えているのだと。

怯える人に適切な知識を提供したい
最近はそう思うようになっています。



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