見出し画像

孤立した方がいい時代

私は以前いたブラック企業で
社風となっていた言葉で
その時はなんとなく
口にしていたのですが

今となって
「ああ」となる言葉があります。

それは
「目的のために純粋な行動を取る」
ということです。

私が自分の行動として
それを落とし込めたと感じたのは
20代も後半になる頃でした。

一部の「天才」と言われる方々は
若くからこれを意識して
自分の「これだ」と思うことに
全投下するから
若くして成功するわけで

そうじゃない大多数にとって
20代とは
生産性とは相反する時期だと思います。

たくさん失敗して
たくさん経験して
はじめて
後になって
「遠回りだった」とか
「最短ルートがあった」とか
気づいたりするものです。

私もそのタイプで
たくさん遠回りや失敗を
してきたのですが
今となっては
それでよかったと思います。

だいたい30代に差し掛かる頃から
無限ではない自分の体力とか
時間の存在に気づき
「いかに安く」とか
「いかに恥ずかしくないように」
よりも
「いかに早く」
「いかに効率よく」
と考えるようになります。

ターニングポイントとなった
ひとつの例で
この話があります。

私は音楽が好きで
ライブや夏フェスに
行きたかったのですが
その当時はまだ
人の目を気にして
一人で活動することが
できないタイプでした。

ただ接客業という業種ということもあり
ただでさえ取りにくい土日の休みを
一緒にとってまで
行ってくれるような人が
なかなか見つかりませんでした。

最初口では「いいね」と
言いながらも
いざ実行しようとすると
後ろ向きだったり

なんだか自分は
人生の前半で
自分と同じレベルの行動力を
持った友達に
恵まれなかった気がするのですね。

ただ「人を誘う」という
自分ではコントロールできないことを
諦めて
「夏フェスに行く」
という本来の目的を
見直した時に

「今までこうやって
 目的とずれた変なこだわりに
 躍起になって
 叶えられなかったことが 
 たくさんあったのではないか」
と考えるようになりました。

私は「目的のために純粋な行動をとる」
ために
「人を動かす」ということを
捨てたのです。

そこから私のフットワークは
格段に上がりました。

その後新しく出会った人たちは
私のその欲求を叶えてくれる人たち
ばかりでした。

「何かを得るにはまず先に
 何かを手放せ」
と言いますが
私は「人と一緒に何かしたい」
という執着を手放した時に
様々なものを得られて
最終的には
それを叶えられるような
人間関係ですら
手にすることができました。

とくに今の変化の激しい時代では
より身軽になることが
その変化対応に向けて
必要とされるのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?