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記憶と脚色

中田敦彦さんがまた
40歳の誕生日に自身のオンラインコミュニティ
「PROGRESS」にて
ご自身の半生について
長きにわたって語っておりました。

中田さんは以前も
「しくじり武勇伝」という
タイトルの長編動画にて
同じようなことを語っていたので
内容は被っているものもあると
知ってはいたのですが

ついついまた見て引き込まれてしまいました。

一体何回同じ話をして
こんなに聞き手を夢中にさせるのでしょうか。笑

「それは前も聞いたよ」
と何度でも楽しめるのは
素晴らしい才能です。

さてそんな中で
最初の方で中田さんは
自分は生まれた時の記憶がある
と仰っていました。

そしてその後こうも仰っておりました。

でもそれはひょっとしたら
  頭のいい人たちはみな
 生まれた時の記憶があると言う
 という言われを見て
   自分の中で
 脚色したものかもしれない。
」と。

「なんだよそれ」と思うところかも
しれませんが
私はこれにかなり共感してしまいました。

なぜなら私もそういう記憶が
あるからです。

私の最初の記憶は
「お宮参り」の時でした。

お宮参りと言えば
新生児が1歳を迎える時の
通過儀礼です。

つまり1歳を迎える時に
記憶があったとでも言うのでしょうか。

私は以前その話を親か親戚にして
その時の情景や場所などを
言い当てて
「おお〜」と周りに言わせていたようです。

ただその後
ふとしたタイミングで
そのお宮参りの自分の写真を
アルバムで見つけるのです。
その写真は初めて見たような
気がしなかったのです。

その時に私は
ひょっとしたら私は
 どこかのタイミングでこの写真を見て
 周りの景色とかを
 無意識にインプットして
 記憶を脚色させていたのかもしれない

と考えました。

お宮参りから35年も経ってしまった
今となってはその真相はわかりません。

親戚を驚かしたその記憶ですら
子どもの頃ですから
今はすでに曖昧です。

30代のいい大人である私にとって
子どもの頃の記憶など
昨日見た夢と変わらないのです。

ただ次の記憶が小3だったと語る
中田さんに対して
私は幼稚園の頃の記憶なども
割と残っています。

5歳の時に引っ越しをしたのですが
それまでに住んでいた家のことなども
近所のスーパーとか公園などの
位置関係も含めて結構覚えています。

私は転校をしていますし
その当時の友達も転勤族などで
ほとんど幼稚園から小学校のうちに
疎遠になってしまったのですが

幼稚園の時によく一緒に遊んでいた
友達の顔や名前なども
覚えています。

なのにそのずっと後の
大人になった時の記憶の方が
よっぽど残っていなかったりするのです。

これには理由があって
こどもの頃の「最初の記憶」などは
こうやってネタとして話したり
思い出されることがありますが

中間になると重要度は減りますし
もう疎遠になった友達との思い出や
もう別れしてしまった恋人との思い出などは
人に語ることもなければ
思い出すこともなくなり
使わない記憶なので
どんどん消されてしまいます。

下手したら
大人になって付き合った元彼との思い出より
私にとっては
中学で訪れた
「病気」「両親離婚」「転校」という
大転換のそのタイミングに起こった
節々の出来事の方が記憶に新しいです。

日本史に於いて
古いのに重要性が高いため
しっかりと書き残されて
誰の記憶にも残っている

「645年 大化の改新」のような
イメージでしょうか。

なのにその後の鎌倉幕府に関しては
1192年とか1185年とか
あやふやな年代も存在します。

古い時代の脚色は
こういった例外を除くと
人類の歴史上でも多く存在し

何千年単位まで遡ると
モーゼはツノが生えていたとか
神話と史実が区別がつかなくなってきます。

先程も伝えたように
古い記憶というのは
無意識に思い込みも含まれている
神話とか夢のようなものなのです。

結論だからこそ過去は変えられると
そう言いたいのです。


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