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勧善懲悪の時代の終わり

最近実写版のONE PIECEを観ていて
初期のイーストブルー編の話の展開に
すごくほっこりしていました。

というのも
最新話までONE PIECEを追いかけている
方ならご存知かもしれませんが

ONE PIECEのもっと進んだ話というのは
人身売買や人種差別などの
重いテーマを扱っていたり
悪役にも同情できるような
バックボーンが見え隠れしていたり
初期のスッキリした話の展開とは
かなり変わっています。

私はコミック派なので
アニメがそこまで行ってなかったならば
ここからはネタバレ注意なのですが

最近終わった「ワノ国編」が
なんとも意味深な終わり方だったのです。

話の大筋としては
主人公サイドである光月家に恨みを持つ
黒炭家のオロチという人物が
今回のラスボスであるカイドウと結託して
ワノ国を乗っ取って国民を苦しめていたのですが

オロチ自身も
先代の殺しによって
本人は何もしていないにも関わらず
「黒炭家」という血筋というだけで
ワノ国の人々に迫害されてきた歴史を持ち

主人公のルフィが
国民を解放して
平和な国にしたと思われたところで

黒炭家の迫害の歴史が
再燃しそうな雰囲気があったり

主人公サイドにいた女の子も
黒炭家の血筋だったり

何か起こりそうな予感を
残していました。

戦争によってどちらかが勝てば
もう反対のどちらかが遺恨を残す
という負の連鎖は
まるでどこかの国のようです。

私たち日本はそういうことのない
遠い島国だと思いきや
簡単にこういった勧善懲悪を
信じてしまうあまり
私たちの気づかないところで
遺恨を産んでいるのかもしれないということを

日本をモデルにした「ワノ国」のラストに
強いメッセージとして残したのかもしれません。

正直な話をすると
初期のすっきりとするさわやかな話の方が
精神衛生的には気分良く観られます。

ですがそれがリアルではないということも
私たちは気づき初めています。

ONE PIECEの作者の尾田先生は
そういった人々の思想のトレンドにも
敏感な方だと推測されるので
初期の展開が今の時代にそぐわないことも
意識しているのではないかと思います。

現にONE PIECEだけではなく
最近流行った漫画やアニメなども
主人公サイドがダークだったり
敵サイドにも同情に値するストーリーが
組み込まれていて
どちらが正義なのかと
判断するのが難しいものが多いです。

人には人の数だけの正義がある
と気づき初めてる私たちに
勧善懲悪の物語は刺さらなくなってきていますし

どちらかに偏った報道に関しても
疑問に思う声が増えてきました。

これは人々の精神レベルが
上がっているように
私はいい傾向として捉えているのですが

「様々な正義がある」という考えは
それと同時に人々に
精神的な苦痛も与えます。

ワノ国編のラストで
海軍大将の「緑牛」が言っていた
「差別とは安堵だ」という言葉の通り

わかりやすい二元論があった方が
人々は迷わずに生きることが出来ます。

私がONE PIECEでも
初期の話の方が
「すっきり」とか「ほっこり」
とかいう感想を持ったように。

勧善懲悪とは
迫害される側にさえ立たなければ
精神的に「楽」な思想なのです。

だって考えてみてください。

同じ土地を奪い合う2つの民族がいて
あなたがそこを戦争で一時的に占拠できたとします。
もう一つの民族に
二度と奪われたくないし
二度と戦争をしたくもありません。

手っ取り早い解決策は?

民族浄化です。

とても恐ろしいでしょう。
でも現実にそう考える人がいても
おかしくないでしょう。

現に行われてきた地域なんて
いくらでもあるのです。

楽で手っ取り早い解決策なんて
選ぶべきではない理由だと思っています。

ここからは少々スピってきますが
話を続けます。

「民族浄化」なんて
解決策を選ぶ人には必ず
「恐怖心」という感情が人一倍あります。

少しでも敵が残っていたら
復讐されるという「恐怖心」から
「根絶やしにしよう」という
発想が生まれるのです。

だからそれを選んでしまう
「恐怖心」というのは
最も原始的で低次元な感情だと
私は思うんですね。

そしてこの「恐怖心」というのは
陥ってしまうと際限がありません。

だからポルポト政権だとか
ナチスとか行きすぎた政権が
生まれてしまったのだと思います。

彼らはおそらく「恐怖心」に
心を支配されていました。

私も幼い頃は「恐怖心」が
人一倍強かった人間だから
なんとなくわかってしまうのです。

そしてある解決策を導き出しました。
「恐怖心」とは「無知」から来ます。

よくわからないから迫害するのです。

正直その負の連鎖に陥った状態から
断ち切るのは並大抵のことではありません。

自分がされたことを
人に繰り返してしまうのは
本能のようなものだからです。

だからイエスキリストの
「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」
という言葉も

「おいおい、ちょっと待ってくれ。
 そう思えるためのプロセスを教えてくれ。」
と思ったものでした。

この言葉を本気で腹落ちするくらいの
精神レベルに達した人のみが
恐怖心から解放されて
負の連鎖を断ち切ることが出来ると思います。

簡単なことではないですが
そこのレベルに達しないと
人間の文明なんて
たかだか5000年くらいで
滅びてしまうのだと思います。

よく今がその分岐点だと言われていますが
勧善懲悪の終わったこの時代で
希望的な観測ですが
私はその片鱗が見えてきているように
感じています。


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