豊田生活ー愛おしき3年間
2023/12/31、大晦日。羽田からダラスへ向かう機内にて僕は3年間を過ごした東海地方での思い出を振り返っている。
1年目
転居
2021年1月下旬。僕は東京から豊田市に引っ越した。理由は転職。東京は芝浦に住んで10年近く。東京に愛着などの感情は然程なかったが、唯一ホームジムだったロッキー品川を離れることには寂しさを感じた。
とはいえこの頃のロッキー品川はテイストの大きな転換期にあり、「昔のロッキー」好きな自分の趣向にはフィットしなくなってきていたし、顔見知りの常連も減っていたので、そこまで離れることに抵抗感はなかった。
そんな程度の寂しさは東海エリアの岩場がすぐに忘れさせてくれた。引っ越し後、初めての岩場は豊田の大滝渓谷と宮川だった。極上おつまみだとか桃太郎、緑だとかを触ったのを覚えている。
翌々週にも梟が城エリアで屍やらBOSEなんかを登った。この時は嫁も同行し、破裂を登って盛り上がった。破裂は課題、ロケーションとも抜群の内容で、嫁とは今でもこの課題について語り合うことがある。過去トライした課題を現在・未来において語り合えるのは岩場の大きな魅力だ。
この時は車が納車されておらず、わざわざ東京から遠征しに来た友人のタニータニーに豊田の岩場へ連れて行ってもらっていた。今はトレラン・マラソンランナーになってしまったが彼には感謝している。
そうこうするうちに愛車となるシエンタ号が我が家にやってきた。ここからソロ岩生活がスタートする。最初のうちは豊田の梟や大滝、宮川なんかで登ってたと思う。インペリアル、みだらなどなど。これらの課題の多くはチッピングなんかですでに消滅している。
ありきたりなことだが、チッピングによって課題が消滅することほど虚しいことはない。毎年秋口に発見されSNSで報告される豊田のチッピングはもはや風物詩といっても過言でないが、なんの目的で誰がやっているのか全く分からないままである。自宅から最も近い岩場ながら、薄気味悪さが残る豊田で登る機会は自然と減っていった。
転戦
21/3月頃からは白川や恵那、フクベに通い始めた。特に白川は、課題数自体は多くないものの、前日に雨が降っても何かしらは登れるコンディションの岩場で重宝した。アカシャグマやカイシンなどを登ったのが良い思い出だが、ハイボルの百春なんかを登らずに出国してしまったことは幾許か後悔している。
同年の秋シーズンの思い出は恵那でのカマイタチ。マット2枚担いでソロで登ったわけだが我ながらようやったと思う。登り終わった後、興奮気味に独り言を発していたから、側から見れば不審者同然だろう。
フクベでは夏至やらハンター、その他初段、二段を諸々登らせてもらった。フクベの課題には思い入れはあまりないが、ここの地は関西勢もよく押し寄せる岩場のため豊田や白川、恵那とは少し違った雰囲気があったりするから面白い。
東京にいた頃には、鳳来に最も足繁く通っていたが、他の岩場の魅力にあがなえず鳳来行きの頻度は落ちていた。ただ嫁が東京に住んでいたため、たまの週末に帰京すべく道すがら鳳来峡に寄り道したりしたものだ。その中で数年前に敗退していた艶を登ることができたのには成長を感じた。
転生
艶を登ったのは11月。この前後で「年間合計100段」を達成した。当初、100段を狙ってたわけではなかったが年央からその数字が見えてきたので、10月、11月はとにかくグレードを消費することに邁進していたと記憶している。結果、記録を達成できたからといって何かあるわけでは当然なかったが、自分の中で何となくの一区切りがついた。そこからは自分が本当に登りたい課題、岩を登るようになった。
まず目をつけたのが鳳来のコカ。鳳来に初めてきた時にグライダーでひぃこら言ってた自分。その横にあるコカをトライする日が来るなんて夢にも思っていなかったが12月に着手し始めた。とはいえそう簡単に登らせてもらえず、年内の完登は断念した。
コカは一旦封印し、年末は東京時代の仲間と四国ツアー。ものは試しにと思い、豊田から車で徳島にインしてみた。まぁまぁしんどかったものの行けなくない距離感に東海地方の底力を感じた。徳島から高知まで、四国を横断した3泊4日。大晦日は香川で過ごし、讃岐うどんで年始を迎えた。良い形で1年目を締め、2年目は幸先の良い一年になるかと思った。
2年目
絶頂
年明けのバタバタもひと段落。流石に四国遠征が身体に響いたのか、あまり登る気力が起きず近場の豊田、特に大楠林道で週末を過ごしていた。最初のうちは初段ぐらいの課題で満足していたが、砕波を登れた時にようやく気持ちと身体が戻ってきた気がして、コカに終止符をうつため2月ごろから改めて鳳来に向かった。
コカはおそらくDAY 5ぐらいかかったと思う。登りきった時には少し泣きそうになった。岩自体の魅力は大きくないが、過去の自分からの成長や壁を乗り越える瞬間を感じさせてくれた。この3年で1番思い入れのある課題かもしれない。
コカを登った後はしばらくエンクラモードだったように思う。ごく限られた界隈で著名なリクオリティ氏を豊田の岩場へ案内したり、ゴールデンウィークには東京の仲間と飛騨金山で落ち合い麻生谷で登ったり。22年春はそんな感じでシーズンを終えた。
過信
秋前の夏。自分自身成長した実感があった。
ホームジムだったロックドランカーがそれまで徒歩1分だった場所から移転してしまった。これに合わせて僕はホームジムをイボルブに移転させた。
イボルブは今どき珍しい全面マブシのジム。スラブがないのが唯一の欠点だが、緩傾斜から140度、ルーフを備えており保持全開の課題で岩場志向のクライマーを迎えてくれる。
シーズン前からここで登って保持力の向上を感じ、秋はそれなりに期待を持って岩場に臨んだ。
まずはフクベから。シーズン序盤はサンシャインパワーをものの1時間程度で登ることができた。まだ気温が下がり切らない10月中旬にサンシャインがサクッと登れたら、自分に対する期待値も上がるってもんで、その後は「高難度の課題を登るんだ」と鼻息荒くしていた。
てなわけで10月後半から恵那のヤタノカガミをトライし始めた。微かな希望を感じつつ、トレーニングを続け11月初旬に神奈川某所でオールドルーキーSDなんかもわりかしさっくり登れた。
頓挫
11月中旬。自信とともに再度ヤタにトライしようと恵那の里に向かう。途中アップがてら月の舟にとりついたが、こういう自信がある時にこそ悪いことは起こるもので、完全に過信からマット外着弾をかまし尻を強打。結果ヒビが入る。2週間ぐらいかまともに登れなかったし、全治には2ヶ月近くかかった。22年秋シーズンは一旦ここでつまづく。
尻が全治するまではとにかく保持力を向上させようと励んだ。そんな中、「保持といえば豊田のしょんべん小僧」ということで何日間か通ってみたがこれは全く歯が立たず。強烈な初手どりの悪さに手も足も出ず完全敗北を味わった。
大した成果もないまま、年末は初めての九州ツアーに赴く。比叡と日之影に2泊3日の工程で行ったが、移動の疲れなんかで、ガッツリ登るという感じではなかった。とはいえエピックやらを登ってまぁ満足できた。
自身の成長は感じつつ、一方で期待値をコントロールできずに思わぬところで足を掬われ怪我をする未熟さを痛感する一年であった。
3年目
絶望
22/23 秋冬シーズンの後半戦は、年始の神奈川某所から始まり、ここでほぼ終わりを告げる。指をぱきったのだ。前年の反省を全く活かせず未熟なままシーズンを棒に振った。本格的なパキりはクライミング人生で初。
結果、このシーズンは怪我に泣いたが、ただそれが少しは良い転機になって、多少なりとも体の使い方を変えることはできた。また岩登りへの意識も幾許か変化したように思う。それまではグレードが段以上の課題でなければ登らないみたいなマイルールがあったが、素直に面白そうと思える課題を登るようになった。
怪我することは悪いことだけではない。そこから得る学びも必ずあるものだと思うのだ。
希望
春先までは完全にエンクラ。指が治るまで痛みの出ない範囲で岩を登る。簡単な課題をやったり、アプローチシューズで登ってみたりとか色々楽しんでみた。
そうこうしているうちに夏が来ては過ぎ去り、最後の秋がやってくる。秋は出張やらプライベートやらで毎週岩に行くという生活はできなかったが、それなりに楽しめた。
成果は乏しいといえば乏しい。ただ長年苦労していた鳳来の花夜叉を登り、また年始にパキッた神奈川某所の灘を完登。リベンジを果たせたわけである。もっと登りたい課題があったし、もっと登れたのではと思わないこともないが、齢40を前にして、まぁ頑張った方である。
2024年は30代最後の年になる。異国の地で環境は変われどいろんな岩場でいろんな課題を触りたいという熱量は変わっていない。絶望で始まった23年が終わり、24年は希望という言葉を僕の心の額縁に飾りたい。
総括
こうして東海での岩場生活は23年末を持って終了した。
まず一つ言いたいこと。東海地方の岩場は本当に素晴らしい。クライマーにとって超貴重な共有財産である。この財産がチッピングなどによって破壊されることは本当に残念ならない。特に豊田の惨状は目も当てられない。
また鳳来はオーバーツーリズムでアプローチ至近の駐車場が閉鎖された。限られたリソースを様々な人たちと分け合う必要があるので致し方はないが、この3年間は岩場の変化というものを強く痛感させられた。
一方で長期間、変わらずにクライマーを受け入れてくれる岩も当然ある。万物いつかは形を変えるものだが、一定期間変わらぬ姿でひっそりと佇む岩は時の流れを忘れさせてくれる。また、過去微塵にも可能性を見出せなかった岩を登れた時は逆に時の流れで自らの成長・変化を感じさせてくれる。
変わりゆくものと変わらないもの。それぞれを感じさせてくれる。岩場はそんな存在でもある。
長くなったがシーズン中の週末に岩場漬けの生活ができたのは過去にも将来にもこの3年間だけだろう。そういった環境をくれた東海の地に深い愛と敬意を抱きつつ、これからも変わらぬ姿でクライマーを迎えてくれること祈っている。
2023/12/31
会社の辞令で僕はアメリカのカウボーイがいる都市、テキサスはダラスに3年間住む予定となった。ダラスに向かうフライトでこの長たらしい駄文をこしらえている。3年間愛した東海の岩場を思いながら。