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妹さんの感想文#01『なないろリンカネーション』

※ 2024年4月 見出し画像を新調。


小説や漫画、ゲームなどのシナリオを読んでいると、ときに著しく涙腺が脆くなってしまうことがある。私にとって『なないろリンカネーション』は、そうした “涙腺ヤッちまうゲーム” のひとつだ。

個人的に気に入った、あるいは気になったものをピックアップして感想と紹介を兼ねた記事を書くつもりでいる〈妹さんの感想文〉第一弾として、今回はこの『なないろリンカネーション』について少しだけ書いてみる。



概要


本編について語る前にひとつだけ。
今回ご紹介する『なないろリンカネーション』は、PCゲームブランド「シルキーズプラス WASABI」様から発売されている成人向けPCゲーム

つまり〈エロゲ〉である。

そのため “未成年” および “性的なシーンやグロテスクなシーンが苦手な方” にオススメすることはできない。PSVita版も発売されているため「プレイしたいけど、エロゲを買うのはちょっと……」という方にはそちらをオススメすることとなる。




あらすじ


大学生活も三年目を迎えた青年『加賀美 真(かがみ まこと)』は、最近亡くなった祖父から譲り受けた古い木造一軒家での一人暮らしを始めた。
その家は大学生が一人で暮らすには少々広すぎるほどの家だが、真にとっては「幼い頃、夏になると毎年のように遊びに来ていた場所」であり、たくさんの思い出が残されている場所だった。

だが、その家にはすでに二人の先客がいた。
幼少期、真がよく一緒に遊んでいた近所の女の子『伊予(いよ)』。
そして、生活能力の乏しい祖父が雇っていた数人のお手伝いさんたちとは別の、黒い喪服姿をした『桔梗(ききょう)』と名乗る女性。

幼い頃の真が一緒に遊んでいた当時の姿のまま現れた伊予と、見知らぬ女性である桔梗の登場で最初は混乱する真だったが、二人の姿が他の人の目には映らないことをはじめ、いくつかの事実を告げられる。

○ 伊予の正体は『座敷わらし』であり、桔梗の正体は『』であること。
○ 加賀美家は昔から鬼を使役してきたこと。そして、何らかの未練により死後も現世に留まっている霊たちが常世(死後の世界)に行くための手助けをする《お役目》を担ってきたこと。
○ 無自覚ながら真は霊視の力(霊を見る力)をもっていること。幼い頃に真と伊予が一緒に遊んでいたときも祖父以外には伊予の存在など見えていなかったし、祖父の世話をしていたお手伝いさん(つまりは鬼)の姿も、真と祖父以外には見えていなかったこと。
○ これまで《お役目》を担っていた当主(真の祖父)が亡きいま、その正統後継者である真には、新たな当主として《お役目》を継ぐことが求められていること。

加賀美家の《お役目》はあくまで対話が前提。霊と戦うような仕事ではないこともあり、最初は「好きだった祖父が担っていた仕事を手伝う」くらいの感覚で《お役目》を継ぐ真であったが、行方不明になった愛犬を必死に探す少女『滝川 琴莉(たきがわ ことり)』との出会いをはじめ、いくつかの出会いや別れを経験しながら《お役目》の意味を実感してゆく──。

……と、あらすじとしては以上のような感じになるだろうか。
まあ端的にまとめると「使役する鬼や協力者とともに、死後も何らかの未練によって彷徨う霊に救いの手を差し伸べる」というストーリーだ。





動物ネタはずるいと思うんです


まずピックアップしておきたい大きな特徴として、このゲームは〈数名いるヒロインごとに異なるエンディングが用意されている恋愛ゲーム〉でありながら、しかしあくまで物語の本筋は、主人公である真が最初の《お役目》で出会う少女──滝川琴莉に関するエピソードに終始する

つまり、たとえ琴莉以外の人物と恋愛関係に発展したとしても、それは《琴莉が迎えるエンディングの変化》として帰結する。
いわば〈すべてが琴莉ルート〉と言ってもいい構成である。

そして、そんな琴莉にとって極めて大きな意味をもつシーンが、体験版でもプレイすることのできる《愛犬 “コタロウ” との別れ》だ。
両親から放任され、これまでの人生に楽しいことなんてなかったとさえ語る琴莉にとってのコタロウは〈唯一の家族〉と言える存在だった。そんなコタロウとの死別は琴莉にとっての大きなターニングポイントとなり、シナリオ全体でみても〈コタロウから伝えられた想い〉が最後まで琴莉の選択を支える。

当然、それほど重要なシーンであればシナリオはきっちりと泣かせにくる。琴莉役である秋野花さん(個人的に好きな声優さんでもある)の演技も涙腺を叩き割りにくるし、そもそも動物ネタはずるい。ハンカチやティッシュを用意して……などと余裕ぶらず、素直にバスタオルを用意してからプレイすることをおススメしたい。



〈鬼〉と〈家族〉


この物語では〈〉という存在がとても重要な要素となる。
加賀見家で使役される鬼たちは、それぞれテレパシーやサイコメトリーのように特殊な能力をもち、主人である真を守りながら《お役目》を手伝う。

人間を主とした、鬼たちとの生活――。
それは一見すると超常的かつ非日常的なものに映るが、真と鬼たち、そして座敷わらしである伊予らが賑やかに暮らす加賀見家の生活は、未練を抱えて彷徨う霊たちとの対話を繰り返す本作において〈最も人間的な温もりのある家族の生活〉として演出される。

暑い日に外出をすれば「帰りにアイス買っていい?」とねだられ、頂き物のそうめんが続けば「飽きた」と文句を言われる。そうした日常シーンでの何気ないホームコメディ感も『なないろリンカネーション』の大きな魅力だ。




座敷わらし


加賀見家で暮らす伊予は〈座敷わらし〉である。
昔から加賀見家を見守ってきたという彼女は〈悪戯好きで金遣いが荒いゲーム廃人〉というようにひねくれた性格をしているが、加賀見家の相談役としても機能している。
また、真に使役されている鬼たちとは違い、あくまで自分の意志によって加賀見家を守っている彼女は、当主である真が道を踏み外しそうになったときそれを諌める役割も担っている。

生者から見れば、子供の姿のまま暮らしている伊予は極めて異質な存在だ。
しかし、そんな彼女の不死性は〈輪廻転生〉を主題とする本作において「いつも変わらず一緒にいてくれる」という安心感を与えてくれる。伊予は真にとって幼馴染であり初恋の相手でもある。霊たちとの出会いや別れを繰り返すなかで感じる寂しさや喪失感も、生者として変化し続ける自分に対する不安や郷愁も、伊予という存在によって大きく緩和される。

無論、そんな要素を琴莉のために使わない手はない (メタ読み)
それぞれ個性的な鬼たちだけでなく、真や琴莉を見守っていてくれる伊予の存在も、個人的にはピックアップしておきたいポイントだ。




今回は〈妹さんの感想文〉第一弾として『なないろリンカネーション』について簡単に書いてみた。

成人向けというだけでなく、幽霊や妖怪が登場する性質上「誰にでもオススメできる」とは言えない本作だが、幽霊や妖怪モノの物語が好き、あるいは涙腺をやられてしまう物語を愛好する方には積極的にオススメしておきたいゲームである。






以下、本編ネタバレありの感想


ネタバレなしで〆ようかとも思ったが、せっかくなのでネタバレありの感想も書いておく。

本作における私のお気に入りは〈由美ルート〉だ。
このルートでは真と由美が元の鞘に収まってパートナーとなり、二人を主とした新たな鬼として琴莉が加わる。そのため〈ハーレムエンド〉的な展開になってしまうが、しかし個人的には琴莉が最も自然体なまま過ごせる結末を迎えたような印象が強い。

本編でも語られるように、琴莉は〈あたたかな家族との生活〉のようなものを求めていた。そして加賀見家でそれを見つけ、真たちと一緒に暮らしたいと感じていた。
もちろん真に対する恋愛感情も生まれたが、それは決して自分だけが特別扱いされることを願うだけの独占的なものではなかった。真と鬼たちの肉体関係にひどくモヤモヤしたものを感じていた由美と対比すれば、その違いもわかりやすい。



琴莉ルートでの琴莉には、なんだか背伸びをして「普通の〈幸せ〉ってこういうものだろう」という想像上の〈幸せ〉に手を伸ばしているような印象を抱いてしまった。もちろんそれも〈幸せ〉であることには違いないが、まだまだやりたいことはあるのに「私は幸せだ」と刹那の幸せを噛み締めながらの別れはやはり切なく、琴莉がそのまま現世に残るルートでは「この幸せはそう長く続かない」という現実がチラつく。

由美ルートにおける琴莉は〈真にとっての大切な存在〉というポジションだけでなく〈由美にとっても大切な存在〉というポジションに収まった。
真と由美に甘える妹のような存在になれた。二人と身体を重ねて恋人のようなこともできるようになった。友である葵やアイリスたちと並んで立てる存在にもなれた。皆が死んだら一緒に逝くことができるようにもなった。自分だけが先に逝ってしまうことも、コタロウに先立たれたときのように遺されてしまうこともない。

それは例えるなら〈大好物しか入っていないお子様ランチ〉のように、ある意味ではとても子供っぽく、しかし琴莉がそれまで求めていた〈幸せ〉のすべてが詰め込まれたエンディングだったのではないだろうか。



悪霊化するリスクを飲み込んで現世に留まるか、成仏するか。
琴莉ルートで提示されたその二択に対し、由美ルートで〈鬼として現世に留まる〉という第三の選択肢を提示するのは、もしかすると「ご都合的」と言われてしまうような――まさに邪道な展開なのかもしれない。

しかし、人類の歴史において「死者を生き返らせたい」だとか「ずっと生きていたい」というような〈邪道〉は必ずしも否定的にのみ語られてきたわけではない。戒めと一緒に語られることが多いにしろ、そうした〈邪道〉は人の想いに寄り添い、人を救うために望まれてきたものでもある。

この『なないろリンカネーション』においても、死者の霊を鬼にして使役する加賀見家のやり方は「人の道を外れた、人を救うための外法」であることが重ね重ねに語られている。パラレルな続編にあたる『あけいろ怪奇譚』の一部ルートでも言及されていることから、このスタンスは一貫して意識されていることがわかる。

本作をプレイした最終的な感想として、こうした人類文化における正道と邪道の関係性を意識的に踏襲した作品には、個人的にとても好感が持てた。

そして、人が妖怪や怪異のような人外の――あるいはそれらを使役する陰陽師のような存在の――物語に魅了される理由の一端は、やはりそうした〈人間としては避けられない結末を打ち破る力〉にあるのではないかと改めて感じさせられた。



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