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コロナでちょっとマジメに考えてみた

※見出しの写真と本文は一切関係ありません。悪しからず。

天気がよかったので外に出て散歩・・・
アチいな、今日は。

海を眺めながらちょっとマジメに考えて見ました。
つまらないと思うので軽く流して読んでみてください。

東日本大震災で混乱した前の民主党政権を「悪夢のような」と嘲罵した安部氏→菅現政権は、コロナ禍で迷走を重ねました。

しかし、ワクチン普及の目処がたったと一安心したのかオリンピックを開催する方向で走っています。

その挙げ句、政府に「開催の可否の決定権はない」(契約上確かにそうかもしれないが)と発言した上で「どのような結果になろうと国民の命は守る」と力強く?我が国のドンは発言しました。

待て、待てい。すでに国民の命は奪われている。正しいかどうかわからないが過去、ブラジル大統領が「人間はいつか死ぬのだから仕方ないじゃないか」と発言したことのほうが個人的にはすんなり受け入れられる。

菅さん、私がアホなのか、ちょっとなに言ってるかわかんないっす。

国難と呼ばれるような危機や難局に際して、日本の政治家や政権が、立場を問わずいかに脆弱かということが、よくわかりました。

この様子を見ていて、私が考えたのは、政治家・官僚と専門家の役割と関係です。

このような有事が起きた時には、原発や感染症に関わる学問や専門家は、天文学や物理学の場合と違って、政治・経済的領域(エネルギー問題、公衆衛生問題)に強く関与せざるを得ません。

しかし、専門家とは、ある分野に限ってそこを研究し、世間に還元するのがお仕事だと私は思います。
その研究成果は政治・経済、あるいは社会的な視点と一致するはずがありません。

専門家の研究成果をかみ砕き、現在の情勢と見比べて分析し、今ある問題に具体的に活用し、実現していくのが、政治家や官僚の役目ではないでしょうか。

ところが今回のコロナ禍で、「専門家会議」が自ら「前のめりになった」とか「政策を決定しているような印象を与えてしまった」などと反省している有様は、政治家や官僚が科学的知見を効果的に適用するだけの準備も能力も持っていないことを、露呈するものでした。これは一年前と今も状況は変わっていないと私は感じています。

この結果は政治家と官僚は人間でもなんでもないコロナウィルスに性善説で対応していた、すなわち舐めていたからではないでしょうか。

このことはとても根の深い問題だと思います。なぜなら、このような科学的知見の取り扱いの拙劣さは、政治家・官僚の側、特に政治家の多くに、世界観や歴史観、すなわち「教養」が致命的に欠落にしているからではないかと思うからです。

もちろん、目前の危機的状況への対処は喫緊の問題でしょう。また、前例のないことは誰がやっても成果はあがらないかもしれません。ですが、深刻な危機は往々にして目の前の問題ではすみませんし、そのすまない事態のほうが、実はもっと重要です。

想定外の出来事は、その社会・共同体が潜在させてきた構造的な弱点や問題点を一挙に露わにします。それを確かに把握して解決へと導くには、それまでの経緯を読み、今後の展開を見通して、露呈した課題を社会的・歴史的文脈に位置づけ、共同体全体の方向性を見出し、行動を促さなければならないはずです。

今の時代の情勢を分析し、今後を見通す方向感覚を養うのに、不可欠なのが教養なのです。リーダーにそれが乏しいとき、リーダーに従う国民等の命運を左右する問題になりかねません。

私は政治家や企業のリーダーを詳しく知っているわけではありません。しかし、浅はかな私の知識の中で考えても、昨今の政治家や各界のリーダーの器量には大きな不安を感じます。

読書の習慣が無い政治家は多く、酷い者になると新聞さえ読まないのです。まるで「最近の若者」同然で、これが一国のリーダーもしくは未来のリーダーではヤバいでしょう(官僚が作成した資料をマトモに朗読すらできないのはもっとヤバい・・・)。

私が言うのも僭越ながら最近の政治家は損得とウケ狙いで行動しているようにしか見えないときがあります(特に野党、ん?与党もか)。政治家の中には宗教や哲学に関心があるように見受けられる発言をされるかたもおられますが、その大半は自分の凡庸なアイデアを装飾するのに哲学や宗教の文句を使っているだけです。
表面だけ飾っても結局は日頃の行いに表れてしまうのです(非常識な政治家・官僚のなんと多いことか、ニュースを見るのもストレスです)。

私ごときが心配しても社会が大きく変わるわけではありませんが心配は増幅するばかりです。

ああ、頭痛いなぁ。海を見にいこう。

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