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番外:生きていても仕方ない

題名は重そうな印象を与えてしまいそうですが、気軽にお付き合いください。

日常生活を送っていると、己の不甲斐なさで

生きている価値がねえな~

と感じることがあります。

特にうつ病重症期にはエブリデイ無価値な人間だという、罪悪感に苛まれて床に這いつくばっていました。

生きていても仕方ない

この発想を持つことができるのは、人間であるがゆえなのだと思います。

犬や猫の気持ちがお前にわかるのか!?

と言われてしまうとグウの音もでませんが、一つ言えることは、

人間は自分の生死の決定が自らできる動物である

ということです。
すなわち、自殺を自ら行うことができるのは他の動物には見られない行為であるということです。

だからなんなんだ?

と言われると困ってしまうのですが、人間には当然寿命があるわけです。

寿命については人間に選択肢はありません。

明日、転んで頭を打って死んでしまう

これも寿命の一つでしょうし、老衰で亡くなるのも同様です。

整理すると私たち人間は、

選択できる死と選択できない死

というものを常に持っているということです。

私自身、死を選択した仲の良い友人がいます(あえて現在形で書かせていただきます)。
彼は職場環境を苦にして精神疾患を煩い、死を選択しました。

彼が死を選択したことについて、私が批判する権利はないと思っています。

彼は苦しかった。
そしてその苦しさから解放された。

彼が死を選んだという話を聞いたときは、

なぜ?なぜ?なぜ?

で頭の中が混乱しました。

今でもその問いは消えていませんし、ご両親におかれては未だにその問いは続いていることだと思います。

私の考え方が正しいとは思いませんが、

彼は選択し楽になった

それでよかったのではないか、と考えるのです。

一方私は、

未だ選択せず、苦しみの中にいる

ただ、それだけのことだと整理しています。

誠に不謹慎な考えであることは百も承知です。

そ人間の死というものは尊厳を重んじるべきものです。

だからこそ、容易に

死のうかな・・・

と言う人間が許せないのです。

悩みつくしてから、結論を出すべきです。
病で判断を誤ったという人もいるかも知れませんが、それも自らの判断です。

そもそも人間ほど不完全なものはありません。病も人格のうちと考えなければならないでしょう。

生きていても仕方ないと考えている方々に、私が言えることは

人間、寿命でいつか死ぬんだから、今すぐ死を選択しなくてもいいじゃない

ということだけです。

ダラダラと不謹慎な内容で申し訳ないと思っています。

悩まれている人の助けになるかどうかはわかりませんが、明日1日だけでも生きてくれるきっかけになればこれに代わる幸せはありません。

15年前から天で見守ってくれている(たぶん)友のために。

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