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「女性差別は存在しない」に黙った私が、反論できるようになるまで

「ふーん、それは大変だったね。でも男性も女性からセクハラを受けることだってあるよ」 

これはまともで善良でいい友達の一人だと思っていた男性に、私が夜道を歩いていた際におかしな男に後を付きまとわれたことを愚痴ったら返ってきた言葉だ。

その後、彼は「確かに女性に不利な部分はあるかもしれないけど、今は女性も男性と同じように働いてるし、女性だからこそ得なことだってあるよね? 男が損することのほうが多い気がする」と続けた。

明らかな悪意を持って「女性は差別されるべき!」などと言っている人には真っ向から反対できる。

ただ上記のような発言だとどうだろう。一見私の体験に寄り添うようなコメントもした上で男性側からの意見も述べていて、中立であるかのようにさえ感じる。

実際に私は相手の考え方を肯定できないのに反論もできないという状態になり、もやもやとしたしこりを残したままこの会話は終了した。 だが現実に女性差別はあるし、私が男性によって権利を侵害された経験は宙ぶらりんだ。
  
私は何といえばよかったのか、どう対応すればよかったのか。

今回私が読んだ韓国のイ・ミョンギョン氏による『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』は学術書ではなく、私を含む様々な女性たちが言えなかった女性差別に対してのカウンターが詰まった実用書だ。読書後の実践を踏まえ、上記の私の友人男性の発言を例に反論を試みた。

私たちにはことばが

『私たちには言葉が必要だ フェミニストは黙らない』イ・ミョンギョン著、すんみ・小山内園子訳:2016年ソウルの繁華街である江南で起きた無作為に選んだ女性をターゲットにした殺人事件を契機に書かれた。) 

それが差別かどうかは私が決める

まず奇妙なのが、彼は「女性に不利な部分はある」と認めているにも関わらず、最終的に「男性が損をすることのほうが多い」という着地点に至ることである。

基本的にこの社会では『一般的な人間』として想定されるのは男性であり、だからこそ人生設計、働き方や公的サービスを受ける際の手続き、メディア、広告などすべてが男性を基準としている。

このような差別社会の中に生まれ落ちた女性は当然、男性よりも社会的地位が下の存在として生きざるを得ない。そしてそれによって受けた不条理の数々が差別体験として蓄積していくわけだが、それはこの社会でのマジョリティー側であり生まれながらにして特権を得て生きてきた男性が、自分から学ぼうとしない限りは決して知ることもなく、ましてや実際に経験できるはずもない。

しかし残念なことに多くの男性が、自分が当事者として経験しようのない差別について、何故かそれが差別かどうかジャッジする権利があると思い込んでいる。 

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私たちが被差別層に生まれた以上、そこからしか見えない景色、差別された経験は私たちだけのものだ。

「俺の目からしたらちがうけどな」「おおげさだな」「ごく一部の話だろう」

これらの当事者でないことを自覚していない人からの無責任な意見にはこう言い返すのがいいだろう。

“自分の目にとまったことだけが差別なんだ?” (本文より)

『男もつらいよ』は性差別の免罪符じゃない

もちろん男性に対するセクハラも許されるべきことではない。友人が言うように女性から男性に対するセクハラ被害はあるし、同じ男性同士でもセクハラは生じうる。

しかし、先日の編集者である箕輪氏による女性ライターへのセクハラ問題のように、職場や仕事での人間関係の中で、社会的地位が男性よりも低く、給料も少ない弱者である女性に対しその力関係を利用したセクハラや性暴力がより多く行われてきたことは広く認められている。

友人は女性だけが性被害を受けているわけではないということが言いたかったのかもしれないが、「だからみんなで我慢しましょう」というのが暴論なのは自明の理だろう。

何よりも、女性が自分の受けた性被害について話しているときに「男性だって」という理論で封殺しようとするのは、セクハラや性被害をなくすことよりも、女性が挙げる声を押さえつけることに目的があると言われても仕方がないのではないか。

そして、彼だけでなく多くの男性が言う「女性の方が得している」の「得」は主にご飯をおごってもらったり、若いからといってちやほやされたり、女性専用車両が存在したり、いろいろなサービスを男性よりも安く受けられる、といったことを指す。それについてイ・ミョンギョン氏は以下のように述べている。

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“家父長制は男性の優越性によって成立しています。その優越性とは、経済における独占 権を持つことと、女性にはない「軍隊に行く資格」を持つことです。(中略)「男のお金でぜいたくする女」というのは、家父長制という制度によって生み出された必要不可欠なものなので、男性が全部のお金を支払う必要があるのです。(中略)家父長制は男性に義務を与え、その報いとして権威と権益、そして男性が優位であることの勲章を与えました。 ”

つまり家父長制による男性の優越性を剥奪して、女性と男性が同じスタートラインに立って初めて、男性はデートなどでおごったり多めに支払うことを始めとする『男らしさ』から解放されるということだ。

逆に言えばそれを果たさずに「女性ばかりサービスが安く受けられるのはずるい!」だとか「割り勘しろ!」などという抗議を女性の方を向いてするのは全くの的外れで、単純に「家父長制の優越性を享受しながらそれを維持するためのコストも払いたくない」という筋の通らないセクシズムに他ならない。

このような『男もつらいよ』型セクシストに出会ってしまった際は、こう言ってみるのもいいだろう。

“女性差別の話で「男も大変」って言いたがるのは、中立だからじゃなくて自分の話がしたいからでしょ” (本文より)

言葉を取り戻そう

今ではこうして反論の文章を書いている私であるが、件の友人だけでなく数人の男友達に性差別について自分の経験を基に語り、それが全く理解されなかった時には、悲しみや徒労感に苛まれた。

「私の説明が下手だったのだろうか、やはりアカデミックにフェミニズムを学んでいないからだろうか、説得力のある数値を提示できなかったからだろうか、そもそも女性差別というのも私の被害妄想なのか」と鬱々とした気分をしばらく引きずった。 

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しかし『私たちには言葉が必要だ』を読み終えた今、気分は晴れやかである。話が通じなかったのは単に相手が私と同じ「女性差別は存在し、なくさねばならない」という前提条件を共有していなかっただけだと分かり、尚且つもしまた同じような言葉を投げつけられたら、その時には戦えるという自信を持ったからだ。

もちろん、戦うことがすべてではない。初めから話の通じなさそうな相手の場合、「そのくらい自分で調べて」で会話を終わらせたっていい。

重要なのは女性差別においての当事者はあくまで女性であるあなたであり私だということ、その経験を開示するかどうかも私たちの自由だと筆者は主張する。つまりこの本によって得た言葉をどう使うか、その選択権が自分にあるのだと自覚することがまずは女性である自分の権利を回復する第一歩ではないか。

私たちの声を押さえつける言葉は後を絶たない。言葉遣いや語気の強さをあげつらって「そんな言い方をするなら聞いてやらないぞ」と言ってみたり、「なぜ女性差別だけをとりあげるのか、ほかにもっと重要な問題がある」と論点をずらしてみたり。

言い方や言葉遣いのバリエーションはあっても、結局のところ「今までのように女性を差別しつづけたい」という意見表明なので愚にもつかないのだが、それでももしあなたがこれらの言葉によって傷つけられ、自信を失い、自らの経験に確信を持てなくなったら、この本を手に取ってみてはどうか。
自らの確信が言葉になって手の中に戻ってくるに違いない。

執筆=Sisterlee編集部・kobin
写真=すべてUnsplashより

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