見出し画像

いじめはひき逃げ

いじめについて自分が思うことを記録しておきます。
10代の頃から孤立してずっといじめについて考えてきました。
そのことを文章にまとめていきます。

人が集まると悲しい事故は起きてしまう

学校・職場・サークルなどの人が集まる場所
事故が起きるリスクは少なからず発生していると思います。
いじめの起きない空間は、事故を起こさない為
空間を利用する方のモラルの高さ・ルールによる制限によって成立してると思っています。

いじめは事故の1つだと認識する

もし万が一、事故が起きてしまった時に
起こった事故を客観的に判断できる機能が必要だと思います。
被害者と加害者の構図を作ることで、いじめは終息すると思います。
私の場合は実際にそうだったと感じています。

いじめた側【加害者】いじめられた側【被害者】のどちらが悪いのか。
そんな話をよく聞きますが、事故が起きている状態を放置している
空間に問題があると思います。

学校のいじめは権利の侵害

学校は教育を受ける権利によって、通学する場所になるので
その方の権利を侵害している行為だという認識が大事だと思います。
そのことを学校で教わることは、自分はありませんでした。
身体的な暴力は目に見えて分かりやすいですが
行動の制限を強要することは、目に見えて分かりづらいことです。
事故が起きたことで、行動を制限されてしまうことは
身体的な暴力よりも、ずっと続いてしまう暴力だと思います。
そのことを教えることのない学校は意味がない場所だと思います。

事故を終わらせるのに必要な行動は

被害者と加害者を明確にすることだと思います。
100対0でどちらが悪いとも言い切れない部分があると思います。
事故の内容を聴取しないといけません。
どうしてそうなったのか、どういったことをされたのかを聞き取るには
第三者の存在が必要となり、問題を公にする必要があります。

まずは身近なところに相談するのではなく、PTA役員校長警察に相談するのが良いのではないかと自分は感じました。
両親や担任では対処しきれない場合が多いように思いました。
そうなると自分自身で事後処理を進めなくてはいけないです。

権利を侵害されていること強く訴えられる場所に相談することで終息に向かうのではないかと感じました。
問題を公にすることで、事故をひき逃げにしないことが重要だと思います。

報復よりも恐ろしい孤立

いじめの報復はそんなに恐ろしいことではありません。
被害者であるということを公にするのは、孤立することになります。
人は弱いので自分と違ったカテゴリに部類できない存在を避けます。
そうなると居場所がどこにもなくなります。
いじめを回避したところで
誰にも相手にされない時間が続くのは変わりません。
私はそうやって生きてきてしまいました。

人は弱いですから、そのことをどう捉えて向き合うのかが
いじめの問題かもしれません。
加害者にされた人はずっと加害者になります。
問題を公にすれば、問題は終息しますが
より一層、空間の共存が難しくなりました。

いじめというひき逃げを無くしていくには

学校は権利について学ぶ機会を当たり前に増やして欲しかったです。
学校で孤立した人間は、社会に出ても孤立します。
どうやって人と関わっていいのかわからないです。
それを乗り越えるためのスキルを身につけなければいけません。

私は35歳という年齢になって
そんな当たり前のことに気がつきました。

会社勤めしても上手くいかず、一人で出来ることを模索する人生です。
だから一人で強く生きることを学ぶ必要があることを伝えたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?