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#77 佐藤昌介とクラーク、そしてエミリィ その2【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その15】

(続き)

○ 佐藤昌介とクラーク、そしてエミリィ その2

佐藤昌介は、アメリカ留学などを経て、公立の大学のトップとしては異例の長期間となる40年以上にわたり、札幌農学校や北海道帝国大学のリーダーとして、廃校の危機を何度か迎えた農学校を、帝国大学にまで成長させました。その成長の背景には、友人であり、総理大臣も務めた政界の実力者・原敬など旧南部藩時代のネットワークの力も感じられます。

アメリカへの留学時代には、新渡戸と同じ時期にジョンズホプキンス大学で学び、後にアメリカ大統領となって世界の政治をリードしたウィルソンとも知り合いになっています。

約150年の北海道大学の歴史の中における40年以上というのは、約3分の1の期間にもあたり、それほどの長い間、指導的立場にあった佐藤ですが、北大史の中でも存在が知られているとは言えません。クラークがわずか7ヶ月ほどしか札幌に滞在せず、現在では、出身地のアマーストでは知名度が低いにもかかわらず、今なお日本の有名人あることと比べて対照的です。
佐藤の知名度の低さはとても不思議に見えますが、これは、佐藤自身や、後で登場する大島正健が、札幌農学校の拡大にあたり、クラークを神格化した事も、原因の1つではないかと思われます。

佐藤が長い間、札幌農学校のトップを務めたためか、札幌農学校や北海道帝国大学へは、花巻や岩手ゆかりの人々が次々と入学しており、佐藤や、佐藤を取り巻く旧南部藩出身の札幌農学校生が、北大や北海道の発展において果たした役割も、大変に興味深いものがあります。

(続く)

2023(令和5)年10月16日(月)

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