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#187 賢治と弁慶と聖徳太子【宮沢賢治とシャーマンと山 その60】

(続き)

宮沢賢治の父・政次郎や宮沢家が信仰していた浄土真宗の開祖である親鸞もまた、比叡山で修行した人物だ。親鸞の修行の地は、根本中堂のある東塔から少し離れた西塔にあり、二人は、父の誘いで西塔へは足を運んでいる。

西塔での二人の目的地は「にない堂」だったようだが、にない堂とは法華堂と常行堂の二つ建物を指す言葉だ。親鸞の修行の地も、にない堂の近くにあるが、興味深いのは、聖徳太子もこの地を訪れたとされていることで、聖徳太子ゆかりの椿堂という建物がある。

聖徳太子もまた、法華教を最重要視した人物で、父子が比叡山の後、大阪へ向かった際の目的地だった叡福寺は、聖徳太子ゆかりの寺だ。結局、二人は叡福寺へは寄らず、法隆寺へ目的地を変えるが、法隆寺もまた太子にゆかりの深い寺であり、比叡山と併せて考えると、法華教が重要な旅のテーマだったようにも見える。

ちなみに、「にない堂」という名前は、「武蔵坊弁慶が法華堂と常行堂の二つのお堂を担いだ」という伝承が由来となっており、ここにも弁慶が登場する。比叡山中には弁慶由来の場所が数多く存在し、比叡山が天台密教や修験道にとって重要な場所であることを予感させる。

そして、にない堂の一方、常行堂は、日光や平泉において、摩多羅神が後戸に祀られていたお堂であり、比叡山にも、摩多羅神の像が伝えられていたと記憶している。ただ、現在では比叡山の常行堂の説明書き等には摩多羅神の痕跡は残されておらず、常行堂の後戸に、摩多羅神が今でも鎮座しているかについてはわからない。

【写真は、比叡山の西塔のにない堂】

(続く)

2024(令和6)年5月10日(金)


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